2015京都ワークショップ

高瀬川 鴨川

久し振りの京都は夕方からだったので、烏丸御池から会場の有る三条花見小路まで歩いた。

鴨川を見るのも一年ぶりだ。久しぶりに、沢山の人を見た。
外国人観光客が増えていると、メディアが報じていたが、まさに外国の人でごった返している、という感じだ。
木屋町の疎水脇にある木々も青々とし、疎水が見えなくなるくらいにトンネルを作っていた。
そう言えば、昔この脇に「ZABO」という前衛ジャズを専門にするジャズ喫茶があり、私達もそこで演奏をしていた事があった。
京都はそんな懐かしい場所でもある。

一昨年の会場は、規則が変わり何でも連続で20時間しか使えないようになっていた。
そんな事情で、今回のワークの時間は3日だが、実質2日6コマと同じだ。
いずれにしても、ジプシー的に会場を見付けるのは一苦労だ。
というような事から、どういう雰囲気になるのか想像が出来なかったが、一つ言えるのは受講者が熱心に取り組んでくれたことだ。
ワークショップ自体はもう10年になると書いたが、明らかに10年という時間が成長しているのだろうと感じる。
熱心な受講者の数が、少しずつだが年々増えており、その人達の醸しだす雰囲気が、初めての人を巻き込み会場全体を集中した空間にしてくれているのだ。

それと、場を刺激する年配の人達がいるのも大きい。
年配の人達は出来ないことを楽しみ、自分の失敗を笑いに変える。
そんな姿が場を明るくしてくれるのだ。
若い人たちだけだと、どうしても暗く深刻なだけになる。
そうすると、ワークそのものも進まなくなる。
大方、教師や周りの大人達に機嫌をとられて育ってきているのだろう。
その意味では、彼等に責任は無いのだが。
今回のワークを受講してくれていた若者の一人に「今まで、誰かに言葉の使い方で、注意を受けたことがあるの」と聞くと、無いと言っていた。
そう、知らないことは出来ないのだ。
「俺は親じゃないで」と思わず言ってしまう事もある。
私がワークショップで注意をする場面は、常連の人達はよく知っている。
「先生、近頃丸くなりましたね」と大笑いをする。
やはり常連のダンスの先生は「初めて受講した時『なんや、このおっさんは』と思ったものですよ」と、突然の雷を懐かしがってくれる。この京都でも、そういったことも有りながら、しかし終始笑顔が絶えない会場だった。
ワークショップが終わって、打ち上げの為に外に出た。常連の男性に「余りにも色々な人が来るので、何のワークショップか分からなくなっているね」というと「いや、どんな職業やどんな人にも役に立つワークですから、これで良いんじゃないですか」と言ってくれた。
たとえ一人でもそういってくれるのは嬉しい。
やって良かったと思える瞬間だ。塾の教師や声楽家、ダンサーやキックボクサー、僧侶に治療家、主婦や教授。
どこにも共通点は無い。
有るといえば、「人間」であり、社会と「関係」を持って生きているということだろう。
その根幹を知り、稽古をしていく。
改めて、私のワークショップの真髄はここだと確認した。

 

4月17日

ワークショップ会場に着くと受講者の半数は、毎年の顔ぶれだった。
高校生の時に、私の舞台に出たこともあるダンサーは、もう大学卒業を迎える。
顔つきも変わっていたので、「変わったな」というと「いいえ、肥えただけです」と大笑い、なるほど顎が二重になっていた。
久し振りに見る顔、初めての顔、競輪選手から役者、ダンサー、治療家、元キック・ボクサー、教師、一般の人、ロシアの方。
「明鏡塾」も受講している治療家、相変わらず多種多様で面白い。
僧侶が、昨年からの一年で、相当生活が良い方向に変わったと報告してくれた。
そういった話は聞いていても嬉しくなる。

胸骨操作から始め、腕との連関、肘との連関、あっという間に終わりだ。

今日は一コマしかない。
身体の不思議、その典型が「やろうとすれば出来ない」ことだろう。
そんなことを体験してもらい、効率よく身体を動かすにはどうするかは、身体操作ではなく意識操作だということを知ってもらった。
もちろん、とはいっても身体を認識できていなければ、そうはいかない。
だからこその胸骨操作、肘の操作である。
明日は「感じる」にチャレンジしよう。

三条での食事は決まっている。
「ミンミン」だ。東京から参加の人はミンミンを知らないので、ギョウザを推薦しご一緒した。
どの料理も食べやすくさっぱりしていると、大喜びだった。
私のお金の無い時期は、ギョウザとご飯。
あるいは、レバニラとご飯等で済ませていた。
ステレオタイプの言い方をすれば、庶民の食堂なのだ。
大阪ミナミ三津寺筋にあったこの店に、10代の頃からよく通っていた。
半世紀も前からだ。「リャンガーコーテル」と注文を中国の言葉で注文する姿に、「覚えるのが大変だったろうに」とそんなことにも興味津々で通ったものだ。
また、この10代の一時期で、体力勝負の時は餃子6人前は毎日食べていた事もあった。
飽きない味である。

当然、明日もミンミン!

感じる

4月18日

やっぱり、今日もミンミンだった。
8人で行ったが、7人は県外の人達だ。
東京、さいたま、熊本、大阪からの人達だ。
ワークの話や、今までのワークのエピソードで盛り上がった。
時間は、色々な出来事を笑いに変えてくれるのが良い。
ひどければひどいだけ、悲惨であればあるほど、大笑いになる。
自分を笑い飛ばせるのが、誰にとっても一番の肴だ。
しかし、今日は明日の打ち上げの為に早く解散した。

「身体塾」での前半は、ねじれを感じるに終始した。
続いて背骨を感じ取るに入り、羽交い絞めからの脱出で時間が終わった。
「身体関係塾」は定番の腕引張り、手の平合わせで、関係という実体を体感した。

年々、説明しなければ理解できない人が増える。
それは老若男女を問わずである。
もちろん、説明を理解できたところで、それはあくまでも「説明を理解しただけ」であって、それが実行、行動に繋がることはない。
ということを、それこそ理解していないから仕方がない。

今回のワークショップでは一回しか無い「表現塾」では、正面と声を届けるにした。
7時にワークが終わるが、借りている時間がまだまだなので、居残り稽古を1時間ばかりした。
「声を届ける」を歌に変えた。
これは「武禅」でのセクションに有ることだが、ワークショップでやるのは初めてだ。
これをやると、独り言かそうでないかがよく分かるのだ。
日常会話であれば、どうしても状況や習慣に流されて、その区別がつき難い。
だから改めて、ということで「武禅」では歌にしているのだ。
会場中、てんやわんやの歌が飛び交い、訳が分からない感じになる。
この騒音も楽しい。
それこそ居残り稽古では、俳優の平岡さんやダンスの先生等も参加して、相当面白いハーモニーが出来上がっていた。
人そのもののハーモニーであって、技術が作るハーモニーではない。
これを作り出す鍵は「聞く」である。

しかし、耳から聞こえるが耳からではなく、身体で聞くのだ。

そこが相当難しいが、やれば出来る。

明日は最終日だ。

アイコンタクト

4月19日

最終日。
朝から雑誌秘伝の原稿書きだった。
締め切りは月曜日だというので、慌ててキーボードに向かった。昨夜はビールが入っていたので、睡魔に勝てず寝てしまったのだ。

「身体塾」は胸骨から腕のねじれ。

その腕のねじれで足の爪先まで引っ張る。

ストレッチさせるというものだ。
ダンサーにそれをやらせて見ると、少し緩んだが全身が一つになり、つま先を中心に起き上がる事が出来た。
続いて、定番のストレッチを、上半身だけに絞ってやった。
緩みを持たさない、ということを身体で確認した。
これは上半身に限っているので、手の指先を持つと軽く上半身が起きる。
続いてやはり定番の縦系の連動での、手先からの力の放出で遊んだ。

「身体関係塾」で京都では本年最後のワークだ。
その手始めは、相手を感じ取る事だ。
胸骨操作をする人の横に立ち、その動きが作り出す流れを感じ取る。
そしてその流れの中に入る事で、相手を誘導するのだ。
もちろん、難しい。
余程自分の身体に注意が向かなければ、相手の流れを感じ取る事が出来ない。
その何とも漠然とした問題が良いのだ。
そこに自分自身の探求能力、問題対応力が試されると共に、その能力を身に付けていくことになっていくからだ。

何時もそうだが、全員が途方に暮れる状態で、試行錯誤する。
その空気感が良い。
続いて、同じく胸骨操作をする人の前に立ち、両手を広げて立ち、相手のバランスを崩してしまうという、究極の関係性だ。
このワークになると、最早なんだか分からない。
ただただ会場に笑い声が響くだけになる。
「どうなっているのですか」と質問も飛ぶ。
「分かっても出来ないで、だから工夫をしてね。あなたが見たのだから」
そんな笑いのやりとりで、会場は和気あいあいで盛り上がっていた。
最後のワークは、定番の後ろからの「肩掴み」だ。
最後に質問コーナーを設けたが、やはり若い人からは無い。
最後はおっちゃん達の質問が場を盛り上げてくれた。
やっぱり年長の人がいなければ、場は和まない。
打ち上げは、近くの居酒屋で行った。
20人ほどの参加があり、一次会で半数が帰り、閉店まで二次会は花が咲いた。

みなさんお疲れ様でした。来年、また会えるのを楽しみにしています。

■最後の集合写真はここをクリックしてダウンロードして下さい

 

2014 Kyoto Workshop

向かい合う 自分の腕
   

京都の幕が開いた。
それも無茶苦茶慌ただしく。
というのも、会場での飲食はビニールシートをひくか、レジャーシートをひくこと、という決まりがあったからだ。
ビニールシートを買いに、出町柳まで足をのばし購入。
会場に戻ると5分前。準備も無しに始まった。
今回も遠くは北海道や熊本、埼玉、神奈川、そしてウイーンからたまたま仕事で帰国していたダンサー等、各地から来てくれていた。
「身体塾」は定番の胸骨。胸骨から肘、そして上半身のストレッチ。
それらの検証で昼食。
そして「関係塾」へ。
これも定番の「正面向かい合い」から始めたのだが、初めの人が多く中々手間取った。
入口は簡単なのだが、結局のところ向き合う意思の弱さがネックになり、「何のこっちゃ」的なところで終わった。
これも仕方の無いことだ。

今回も、多種多様な人が参加してくれているので、その意味では何時もながら面白い。
それが噛み合うのか、噛み合わないのかの微妙な感じが、スリルがあってよい。
最後は「表現塾」質問も交え、全てが表現だという話。
何を見るのか、という話。
思っている事は誰にも分からないという話。
分からないと突っ込む話。
結果、大幅にワーク時間をはみ出してしまった。
打ち上げのビールの美味しかったこと。

会場が演劇の稽古場兼舞台ということもあり、少し暗めだ。
だが、それが受講者の集中力を途切らせない効果を生んでいてよかった。
昨日は初日のブログを読んで、急遽申し込んでくれた人もいた。
明日の楽日に申し込んでくれている人もいる。
ダンスの先生や、治療家の人達もいる。
常連のそういった人達がリードをしてくれるので、進行がスムーズだ。
ダンサーのシゲヤンとは確か2年ぶりだ。
昨年は過労がたたって休眠状態だったそうだ。
何れにしても、元気に頑張っており、顔を見せてくれるのは嬉しい。


「身体塾」では、全身のストレッチを使った遊びと、「肘」のコントロール。
「関係塾」では、正面向かい合いから、声での誘導。
見た目には簡単そうだが、相手を感じられなければ、始まらないワークだ。
その意味で敷居が高い。
巷の「感じる」という「思い込み」ではなく、実際に感じ取るという感性がなければならないので、感じるという思い込みのワークに慣れている人は、ここで閉ざしてしまう。
「それって、園児のお遊戯や」と、フラットな視線で突っ込みを入れる。
ほんとにほんとのことでなければ、日常生活の力にはならない。
初日は、定番のアイコンタクトでのゲームで、相互勘違いの話をした。
合図を送っていないのに、予定調和の精神でさも相互に行動を起こす。
ここも感性の受け持ちなのだが、予定調和の精神という判断が働くので、それを邪魔してしまうのだ。
3人での「ワー回し」でも面白い事が起こる。
役者は全員声を出しているような芝居をする。
当然、嘘だからその「ワー」には迫力はないし、相手に届く事もない。
「芝居をしたらあかんで」と指摘すると、もうパニックになる。
口を開いているだけ、音をだしているだけ、それで台詞をしゃべっても、何の関係も観客に見えてくる筈もない。
「表現塾」では、その感じる為のトレーニングで遊んだ。
今日の生ビールも美味しかった。

   

「みんなスマホやアイフォンを持っているでしょう、それを出して、3人目の人に話している時の写真や動画を撮ってもらって下さい。自分がどんな顔をして相手に話しているのか、どんな顔をして人の話を聞いているのかを知って下さい」
関係塾の一コマだ。
誰も人の話を聞いていないし、人に話もしていないという指摘が、受講者には腑に落ちないから、この状況を作ったものだ。
みんな、自分の写真や動画を見て愕然としていた。
そう、誰も自分に本当の事は言わないのだ。
それは、波風を立てずに予定調和にしておくのが無難だからだ。
あるいは、相手の人も人を見ていないから、そんなことに気付かないからだ。
つまり、お互いに無視し合っているにも関わらず、友達とか親友だと思い込んでいるだけなのだ。
ワークショップも後半になると、結構ダイレクトで人に向かう。
「自分ではもっと表情豊かだと思っていたけど、実際はノッペラとして気持ちの悪い顔だったので驚いた」
とショックを隠せない。
特に役者やダンサーにはショックだったようだ。


「関係」というのは、思い込みでもある種のイメージでもない。
具体的なこころの感応状態なのだ。
その感応できる自分を作らなければ、何も起こらない。
そういった種類の色々なワークが有るが、講師そのものが関係できないのだから、指導できる筈もない。
しかし、大方の人は言葉の意味だけを解釈する癖が出来上がっているから、もっともな言葉、もっともな話に納得し、関係できる自分になったと思っているだけだ。
そんな思いは、本当と接する事が出来るようになると、気持ち悪い人の何者でもないということを実感する。
話を聞いて、あるいは簡単なワークをして、自分の何かが成長するのであれば、これほど楽な事はない。
そんなことは、地球のどこを探しても無い。
稲が育つのにかかる時間は、殆ど変わらないのと同じだ。


「身体塾」は胸骨の続きから、歩くを稽古。
そして肘のコントロール。
これは、どれだけ自分の身体、相手の身体に関わるのか、の稽古でもある。
その事に集中しているときは、全ての人は人と関われているからだ。
心地よい静寂が会場を包んでいた。
今日は楽日。
関係の実感をもっともっと持ってもらう。
そして、日常で舞台で置き換えられるようにしていく。

アイコンタクトは 目を見れば
全身を伸ばすと 思いは伝わる
 

京都のワークショップは無事終わりました。
参加してくれた皆さんお疲れさまでした。
身体を動かし汗をかくのではなく、頭にタップリ汗をかいた事と思います。
頭にかく汗は、運動よりも疲れます。
たまに頭の運動をし、リフレッシュして下さい。
何しろ、自分の身体、自分自身のことですから。

昼前に京都を発ち、夕方前に道場に帰った。
途端に疲れがどっと出て来た。
ホテルの部屋の具合が悪かったのか、朝5時から6時には目が覚めてしまい、眠れなかったことも、疲れの原因の一つだ。
打ち上げは珍しく少人数だったので、飲み会のような雰囲気で盛り上がった。
参加者の多くが、遠方からの参加者で、新幹線の時間がある為、別れを惜しみながら帰路についた。
会場で知り合った人達同士が、メルアドの交換や色々な情報を交換していた。
組稽古ばかりだから、密な時間を共有する。
また、暗黙の予定調和で、薄ら笑いを交換するのではないから、ワークが終わっても余韻が残るのだ。
もちろん、予定調和を目指す人もいる。
きっとそういった人は、何のことやら分からなかっただろうし、何のことやろ?と自分の頭をフルに働かせていなかった人だ。
ヨーロッパで活躍するダンサーが「目的の違う人が、色々な所から集まって、同じ事に取り組むワークショップなどどこにも無いから、それだけで楽しい」と言っていた。
これは昨年のマルセイユでのワークショップで、やはりヨーロッパで踊る日本人ダンサーが言っていたことと、全く同じだ。
そういった見方が出来るのは、やはり外国の地で生活するから、思えることなのだと思う。


打ち上げの居酒屋のバイトの店員の教育が最悪で、注文の品をひっくり返したり、ビールを零したりパンツがビショ濡れになった。
その対応も悪く、何度怒鳴ったことか。
もちろん、本人達は悪気も、お詫びの気持ちも全く無く「申し訳ございません」という音の連呼。
こちらが怒っているという事すら分からないのだ。
他人の感情に反応が出来ないのだから、人ではないので仕方が無い。
この有名居酒屋チェーンは、どんな社員教育をしているのか。
きっと店長までバイトなのだろう。
客が放っておいてもくる店だから、少々の店員でもやっていけるのだろう。
クリーニング代を請求しようと思っていたが、お酒を飲み過ぎて忘れてしまった。
そんなグチャグチャも含めて、盛り上がった飲み会だった。次は福岡だ。

胸が広がる
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2013京都ワークショップ 5/2-4

   

5-2

新陳代謝という言葉が有る。
京都ワークショップが始まった。
「常連の顔が無いですね」   と役者の平岡さん。
「見飽きた顔はいらんで」と私。
確かに 今回初めて見る顔の方が多い。
ゴールデンウイークにも関らず、 何だかんだでおよそ 30 人程の人が参加してくれていた。
有りがたいことだ。
わざわざ遠方からの人もいる。
もちろん、そんな人は常連の一人だ。
「やっと先生の言っている事が分かりました。 3 年かかっています」
「早い方やで」
そういったことを言ってくれる人は、自分で求めているモノがあり、それがワークショップに有る、と確信している人だ。
色々なワークショップに顔を出し、「これかな、これかな」と、東京を始め色々なところへ行っていたそうだ。
でも 3 年前、初めて私のワークに参加して、「これだ」と直観したそうだ。
それからは、私のワークを自分のスタジオでも取りいれ、生徒達に教えているという。
見る見る子供達の顔が輝き、目に力が出てきたそうだ。
それを子供達にやらしたかったそうだが、どうしたら良いのかが、皆目検討が付かなかったのだ。
それを、私のワークに見つけ出し、今では、自分のスタジオのスタンダードな練習にしてくれている。
そういった熱心な人がいてくれるから、ワークショップを止められないのだ。
ワークショップに来ていたら、何か得られる、あるいは、何とかなる、という人は、その新陳代謝の一つになるのだ。

今日は、初めての人が多いので、腹部のねじれからやってみた。
「ねじれているのを体感してくださいね」
しかし、どう見ても身体を動かしているだけの人が沢山いる。
そこを突っ込みながら、良い感じでワークは進行した。
一口に腹部の捻じれといっても、体感するのは中々難しい。
自分の身体への刺激なのだが、運動に熱中してしまう人が多いから、出来ないのだ。
それをどう理解させるか。
そんなことを考えるのも、ワークショップの楽しみの一つでもある。
武道、格闘技関係の人も数人いたので、その人達を相手に身体の繋がりや、心理や気持ちが影響を及ぼす身体を展開した。
明日の参加者は、今日よりは増える。
またまた、知らない人と出会える。それが楽しみだ。  

   

5-3

そうか、 How to だと思っている人は、どこまで行っても How to なのだ。
でも、もしかしたら気付くかもしれない。
という淡い思いを抱いて、手を変え品を変え、皆にアプローチし続ける。
こちらとしては、それをやるしかないのだから。

身体塾しか参加できなかった、常連のジャズダンスの先生が、生徒が大学生になったからと、一緒に参加してくれた。
小学校 5 年生からの生徒だそうだ。
なによりも、その先生の教室に「なまむぎ」が導入された年の最初の生徒だという。
大学生は素直な感覚、素直な感性を持っていた。
そこから見て、その先生が、どれほど真っ直ぐ指導しているかが良く分かる。
その子達のチームは、今でも本番前には、必ず「なまむぎ合戦」をし、気合を入れて競技会に臨むという。
一番輝いているそうだ。
「なまむぎ」を導入してくれているスタジオや教室では、明らかに子供達が輝くと口をそろえて言う。
基本的にエネルギーが有り過ぎるくらい有る筈なのだから、それを出すキッカケさえ作ってやれば、子供は爆発する。
もちろん、大人も爆発するのだが、頭や自意識にそれがかき消されてしまう。
その大学生いわく「先生、日野先生と同じ口調や!」

今日の表現塾では、それが衰えないように、様々なワークを展開した。
結果「 2 時間でこんなに人って変わるのですね」と熊本から参加してくれているダンスの先生は驚嘆していた。
そう、誰でも輝けるのだ。
でも、自意識がそれを妨げてしまう。
大学生くらいの年齢の人達は、飛び跳ねるくらい弾けていた。
童心に戻るとはこのことだ。
人は何がきっかけで、老人のように、もっともらしい事を口にし、素直な感性を退化させてしまうのだろうか。
そんな素朴な疑問が頭をよぎる。
素直な感性と言えば、高校時代に私の主宰する RealContact の公演に出演した青年も、何もかもが素直だった。
数年前
「どうしたら、こんなに素直な動きになるのですか」
とその青年を連れてきてくれた、モダンの先生に聞いたくらいだ。
その先生も、何時も生徒さんを連れて参加してくれる。
私の指導していることを理解するのに 3 年かかった、とおっしゃていた先生。
そういった、いわゆる、スタジオの先生方で、ワークショップに参加してくれるのは極々少数だ。
それを言うと「どうして?」と、参加している人達は目を丸くする。
「多分、頭が硬いのやろ」と私。
何でもええやん、生徒が上手になるのであれば、という考え方を持っていないのだから、仕方が無い。

5-4

ゴールデンウイーク真っ只中の 5 月 4 日、京都でのワークショップを終えた。
今回は、急遽決めた事、ゴールデンウイークの最中、という条件の悪さがあるから、相当集まりが悪いと思っていた。
しかし、案ずるより産むが易しとは、良く言ったもので蓋を閉じると、 60 名以上の人が参加してくれていた。
打ち上げの席で、京都のワークに毎回参加してくれる建築家が、嬉しい事を言ってくれた。
一回目の京都ワークショップの打ち上げで、私から「あなたの言葉から、イメージが湧いてこない」と言われた言葉が、胸に刺さり、それをずっと持ち続けていた。
そして、イメージの湧く言葉を目指して日々研鑽している。
そういった事を、若い人達に伝えていかなければいけない、と思っているということだ。
これほど嬉しい言葉は無い。
私がワークショップを続けていけるモチベーションは、正にこう言った言葉を聞けることだ。
響き合える仲間が欲しい、それが、私が教室やワークショップを続ける真意だ。

そんな嬉しい話で盛り上がった打ち上げだった。
年々、その参加者の数は減っているが、こんな中身を持つ人達とのお酒は格別だ。
一年後、進化した姿を見せ会おう、という言葉で解散した。
今回のワークは、どちらかと言うと、治療家の人達が多いワークショップだった。
それは明鏡塾のせいもあるのだろう。色々な治療家が来てくれていた。

また、昨日書いた、数年ぶりに高校生から大学生になった青年も来てくれていた。
大学に入り、ダンスから遠ざかっていたが、久しぶりに一緒に動くと、グレードは上がっていた。
コンタクトの深さが増していたのだ。
そんなものだ。
大学でダンスとは全く関係のない学部に入り、今まで縁の無かった人達との毎日が、彼を磨いてくれていたのだ。
ダンサーだからと言って、ダンスの稽古だけが稽古ではない。
ダンスという動きよりも大切な、センスやこころを練り上げることも大事なのだ。
その事が、ダンスの中味に深みや輝きを持たせるからだ。
特に、多人数で舞台をする場合、関係性を作る能力の有無が、重要な要素になるからだ。

ということで、朝から東京へ。

武道教室 身体操作 人間関係   

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2012京都ワークショップ

   

昨年は外国が忙しくて、他人任せの京都でのワークショップは流れてしまった。
おかげで関西方面の多くの人から「無いの?」と催促メールが届いていた。
で、今回の京都は、私達の手でやることになった。
しかし、京都と道場を行ったり来たりが難しいので、京都在住で俳優の平岡秀幸さんに全面的に手伝って貰った。
おかげで、急な開催にも関らず、良い場所がみつかり、今回の開催にこぎつけられた。

私のワークの殆どは、人との関わり、ということをメインにしている。
それはワークを通して、もっと人との関係を真剣に見つめなおして欲しいからだ。
にも拘らず、昨年ワークが流れてしまった。
つまり、主催してくれた人は、「人との関わり」を現実の日常として、全く理解していなかったということだ。
こういったワークショップを開くということは、そこに何らかの関係が生まれる、あるいは、生まれる種をまいたということだ。
だから、それは育てていかなければ育たないのだ。
したがって、気分でやれるものではない。
もちろん、全てのきっかけは気分かもしれない。
しかし、一度幕を開けるとそれは個人の気分を通り越し、否応なしに他人との関わりが出てくる。
それを大切にしていくことが大事なのだが、そのことを優先するのではなく、自分の気分や自分のやりたいこと、やりたくないことを優先するのが、昨今の風潮になっている。
それは間違いだ。
それしかやらないから自分の枠から出ることが出来ないのだ。
もちろん、そんなことを理解出来る感性はない。
しかし、ここ数年、出会う人達はそんな人達ばかりだ。
つくづく嫌になる。
横浜から参加してくれていたミュージシャンが
「あれ、昨年の公演に出ていたダンサー達は?」
「来てるよ、 3 人」
「何で?」
そう、皆にとっては単に一過性のものだったのだ。
とそのミュージシャンを呆れさせていた。
そんな中で、ワークショップに常に顔を出してくれる、俳優の平岡さんとワークをするのは一服の清涼剤だ。
また、ダンスの先生や、設計師、整体師、パティシェ、音楽家、普通のサラリーマン、教師など、ダンサー以外の人達が、私のワークを必要としてくれる。
ダンサーではないのだ。
これは何とも皮肉な話だ。
それを考えると、私が何か間違っているとしか言いようが無い。
なまじフォーサイスカンパニーと関ったことが、ダンスの世界と関るきっかけだった。
そのフォーサイスカンパニーのダンサー達と、日本のダンサー達が同じ土俵に上がっていると思った間違いだ。
としか言いようがない。

今回は、青年団の松田さんが、公演の合間を縫ってわざわざ参加してくれた。
そんなことも嬉しい事の一つだ。
常々平岡さんと松田さんを引き合わせたいと思っていたからだ。
それが今回の京都で会うとは思っていなかったので、嬉しさもひとしおだ。
ベテランで芝居のこと表現のことを、真摯に考えている人同士が出会うのは、新しい何かが生まれるキッカケになる。
二人は嬉々としてワークを楽しんでくれていた。
「もっと真剣にやらなければ駄目なんですよね」
「当たり前やんけ、何を今更」
で大笑い。
打ち上げでも、芝居談義に華が咲き、この人とこの人ともと構想が広がっていた。

   

4 月 21 日

遠くは熊本や広島に岡山、愛知、東京他から 3 日間しかないワークにわざわざ京都へ来てくれた。
もちろん、地元京都の人達も沢山いた。
総合格闘技 8 年という女性もいた。
初めてワークに参加する人も 1/3 はいた。
頭の中では 3 日間しかないと分かっているから、どんどんワークを進めようと思ったが、始めるとやはり一つのことを丁寧にやってしまう。
おかげでかなり集中された場になって行った。
初めての人は戸惑いっぱなしの 2 時間 30 分。
ワークに顔を出してくれている人にとっては、やっぱり戸惑う 2 時間 30 分。
しかし、身体の不思議、あるいは、自分の意識の頑固さに気付き、笑い声が絶えない和やかな雰囲気に包まれた 2 時間 30 分だ。
身体塾はまだしも、関係塾となると「自分勝手にするな」という絶対的な前提があるから、何も進まない。
その事が駄目なように、あるいは間違っているように、初めての人は捉える。
しかし、それで良い。
「自分勝手にしない」ことなど、自分勝手にしている自分を自分の手で発見しない限り、そこをクリアすることなど出来ないからだ。
その事に気付き、自分の行為の全ては自分勝手である、ということを認識すれば良いだけだ。
もちろん、その事も難しい。
しかし傑作だったのは、役者の平岡さんが正面向かい合いの中で、円陣を組み一人ひとり対峙して行くワークで全敗だったことだ。
一人一人の前に立ち、駄目だしをもらう。
もちろん、 OK が良い。
それで全部の人から駄目だしをくらった。
もちろん、駄目だったのではない。
ジャッジする側が、ジャッジをするという作業に没頭しているから、平岡さんに対して向かい合っていなかったからだ。
そしてジャッジするセンサーが出来ていないから仕方が無いのだ。
それこそ体験の科学なのだ。
皆頭に汗をかき、疲労困憊のまま 1 日を終える。
何時ものパターンだ。
そんな中でも、自分として成長した、という人と再会するのは、本当に嬉しい。
それは自分の手で、自分の身体で何かに確実に気付いた人だからだ。
関係塾と表現塾とは少しかぶっている。
なので、表現塾の定番「正面向かい合い」的要素を関係塾から盛り込んでいった。
何しろ 3 日間しかないのだから。

今日は 2 日目。
とはいうものの、明日で終わりだ。
何をベースにワークを展開してやろうか。
昨日もワークが終わったら眠眠へ餃子を食べに行った。
地方から参加してくれていた人達を伴って、餃子と生ビールに舌鼓をうった。
「うまい!」

4 月 22 日

どうして自己弁護の言葉が先にでるのか。
自己弁護の言葉だらけになるのか。
それを言う暇があるのなら、どうして一回でもよけいにやって、どうすれば良いのかを発見しようとしないのか。
性質の悪いのは、その自己弁護の言葉が持論であったりすることだ。
それを相手に押し付け、さも自分は理解しているかのごとく振る舞うことだ。
うんざりする。
しかし、その事に気付かない相手の人にもうんざりする。
もちろん、社会的に相手のことを正面から否定しない、悪く言わない、意思を明確に相手に伝えない、という日本人の悪くもあり良くもありという性質があるから仕方が無い。
しかし、それは社会生活、団体生活、集団生活であればそれでよい。
場次第、その時々に応じてだ。
しかし、ここは私の教室、ワークの場、技術を研鑽する場である。
技術の研鑽だから、雑音は邪魔になる。
もっと言えば、自分の時間、自分のお金を使ってワークに参加している筈だ。
であれば、そこで世間話をしていたらもったいないだろう。
前にも書いた事があるが、いい歳をしても
「私はこんなことが出来る・私は凄いだろう」
と自慢をしたい子供じみた欲望の強い人がいる。
そんな人を見ていたら、いっそ別の場所で自分で教えればいいと思う。
そんなことを言っても理解できないだろうが。
追い出しても良いのだが、そうすると雰囲気が悪くなる。
難しいところだ。

さて、今日は最後。
2 コマしかない。だから、余計なことに気を使わずにスムーズにコマを進めたいのだが、どうなることやら。
しかし、腐ったリンゴ一個で、その箱のリンゴは全滅する、という言葉が当てはまらないのだけが救いだ。
その意味では、それ以外の人は、人をよく見極めており、自分が学ぶものに集中しているのは凄い。

   

4 月 23 日

京都ワークショップは、慌しく終わった。
打ち上げは 2 次会まで。
睡魔がガンガン襲ってきたので深夜 12 時過ぎ解散した。

5 分の休憩が終わった時、正面向かい合いからコンタクトを平岡さんと松田さんの 3 人で突然やってみた。
もちろん、何もかも決めていない。
2 人で、 3 人で、 1 人で。
任意に変化する。
突然のパフォーマンスに受講者は息を呑む。
コンタクトされている緊張感はたまらなく良い。
ここにセリフが乗っかれば、本当に面白い芝居になる筈だ。
3 人は感じた。
最後は裏切って終わり。
参加者からは拍手拍手。
「何だか分からないけど凄かった」
「そうやろ、人が関係し、その関係が見えていたらこうなるんやで、面白いやろう。これをフォーサイスカンパニーや外国のダンサー達はやりたいんやで」「これをやろう」打ち上げで改めて確認した。
具体的にどうするか。
一寸面白い仕掛けが打ち上げの最後に浮かんだ。

今回のワークショップは、どういうわけか治療家の人達が多かった。
整体や鍼灸、理学療法士の人達だ。
その人達も、身体の精密さ繊細さに目が点になるばかりだ。
どの領域までを身体と呼ぶのか。
それによって要求されるレベルが変わる。
武道では生理的反応までを身体と呼ぶ。
だから必然的に精密にならざるを得ない。
そこから作り出しているワークだから、相当敷居は高い。
それでも受講者の笑い声は絶えず、嬉々として取り組んだ。
もちろん、毎度の怒鳴り声も響いたが。
3 日間のワークショップは余りにも短すぎて、何のことやら、という感じがしないでもない。
しかし、毎年各地で行われるワークショップに参加してくれている人達にとっては、色々な確認検証の場になっているから、それでも良いのかなとも思う。
「秋にもお願いします」
沢山の人から言われた。
さて、どうするか。

 

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2010京都ワークショップ

関西でのワークショップは、ダンスボックス主催で大阪・天王寺に始まり、現在では神戸の新長田で毎年行っている。
参加してくれる人達は、意外と京都の人が多い。
そんなこともあり、今回初めて京都でワークショップを開くことになった。

日野武道研究所に来る、京都のダンサーが企画し、「まなびや 2010 」のプログラムとして実現したものだ。
しかし、ワークショップを開く時期のタイミングが悪かったのか、結果として京都で何らかの形で、ダンスに関わっている人達が殆ど来なかった。
残念なのか、そんなものなのかは分からない。
京都は大学が沢山あり、若い人達も多い。
そして、芸術に関するサークルや団体も多くあり、活動も見る限りでは活発に行われている。
その意味で、若いアーチスト達と会えるのを楽しみにしていたのだが。
にもかかわらず、 4 日間で延べ人数 400 人を超したのは、嬉しい限りだ。

 

■2010/11/11 ( 木 )  今日から京都

京都に早く着いた。
錦市場から新京極辺りをぶらっと散歩。
錦市場は昔は市場だけだったが、今では店で食べられるようになっているところが増えている。
メニューを良く見ると高い。
決して市場で食べる値段ではない。
「何か勘違いしているんと違うんかい」思わず言いたくなる。
商魂逞しいと言えば、それまでだが、それが味とバランスしていないから恐ろしい。
ほんと、高いだけ。
15 歳の時、先斗町で働いていた。
その頃は、休みになると新京極の当たりにあった映画館によくいったものだ。
しかし、驚くのは何が良いのか悪いのか分からないが、どこが京都やねん、という建物が多いことだ。
どこの街にでもあるような店、ブティック、量販店。
修学旅行の子供たちもウロウロしているが、大半が携帯片手に、どこにでもいるような子供達ばかりだ。
今日から京都でワークショップだ。
新しい出会いがあることを期待したい。

■2010/11/12 ( 金 )  高瀬川

京都でのワークショップの出だしは、 1 コマ 30 人平均になった。
参加実数は 80 名を超えた。
会場全体の主催者は、 40 名で大成功だと言っていたそうだ。
だから、実数を聞いた時「京都でこんなに集まるワークショップはない、奇跡だ」と言ったそうだ。
また、 11 月はダンス公演もワークショップも多い。
むろん、今回重なっている舞台もある。
京都造形大学では、以前知り合いになったピチェが公演をしている。
そんな中でのこの人数だから、大したものだ。
会場となっている「まなびや」は、昔の小学校をそのまま使っている。
そこの講堂が開場だ。
風情があって中々良い。
とはいうものの、夜になると冷え込んでくる。
でかいストーブが 2 台しかないからだ。
モダンダンスの先生や役者、俳優、ダンサー、武術、普通のお母さん、坊さん。
面白い程バラエティに富んでいる。
やり易いとかやり難いと、言っても仕方がないのだ。
2 年ぶりに見る顔。
岡山から来てくれた女性だ。
彼女の視線が良い。
きちんと、対峙しているのだ。
つまり、人と関われるということだ。
数年前の大阪でのショーケースには、それだけで舞台に上げた。
その女性が、来年の岡山で私のワークショップをしたいと言いだしている。
面白い展開だ。
京都でのワークショップは、何時ものように恙無く 8 時 30 分に終了。
平岡さん達と、食事に行き一杯飲んで、では明日。

■2010/11/13 ( 土 )  再会

ワークショップの休憩の時、気分転換で学校を出た。
目の前の高瀬川を見ると、川に床が置いてあった。
そこで何かするのかな、と思い辺りを見渡すと、橋の上に人影がある。
そこからは学校の運動場に入れるのだが、入口には鍵がかかっている。
だから、橋の上の人影は通行人や、運動場を使う人ではない。
その人影をよく見ると見覚えのある顔だ。
「おおおお〜おお」
「アキラさん?」
握手をし、抱き合った。
そうせずにはいられなかった。
デカルコ・マリーことシミちゃんだった。
彼とは、何十年ぶりだろうか。
もしかしたら、 30 年になるかもしれない。
ドラマー現役の頃は、色々なエピソードを二人で残してきた間柄だ。
積もる話をしながら、シミちゃんはパフォーマンスの準備を続ける。
「そう言えば玉水町煙はどうしてる?」
「あれっ知らんかったん、死んだよ」
「あああ…、そうか」
「それが煙らしく、煙のように死んだんや。一杯飲んでいて、そのままソファーで横になって死んだんや」
「ほんまやな、煙らしいな」
「ところでアキラは、ドラムを叩いてないの、また一緒にしたいな」
「そうやな、いずれ機会があればな」
後ろ髪引かれる思いで、ワークショップの教室に戻った。
背中で床を感じるをやり、後ろからそれを阻止するというワークをやった。
後ろから支える人は、どれ程の力持ちでも訳もなく転げる。
「一人くらい面白くないから、 3 人で阻止しよう」
というノリで、何人おれば、阻止できるかを試した。
結局、 1 対 33 人になった。
今回初めて受講した男性が、床を感じる役をした。見事に全員がドミノ倒しのように倒れた。
全員大拍手!と大歓声!
「面白いやろ、こんな意味のないことが面白いし、そんなことが先々役に立って来るんやで。よっしゃ youtube にアップするわ」

■2010/11/14 ( 日 )  明日は楽日

明日で京都最後。
実数で受講者が 100 人を超えた。
色々なイベントが重なっているのに、この数字は大したものだ。
朝、少し古く雰囲気のある、小さな喫茶店でモーニングを注文した。
小さい喫茶店だが、カウンターに二人、外に一人いた。
果てしなく遅い。
こちらは、時間が決まっているので、少し焦る。
トーストが出てくるまで 15 分かかった。コーヒーは火傷をするくらい熱い。
今時、それはない。
きっと手鍋で沸かし直しているのだ。
それにしても、コーヒーの温め方を知らない。
今時の子だ。
急いで食べ終わって会場へ。
外に出ると、人の多さに驚く。
ミナミでもこれほど歩いていないだろう。
それは、観光地だから仕方が無いと言えばそれまでだが。
それにしても、これほど多くの人が集まってくるのは異常だろう。
それぞれ情報誌やネットからダウンロードした情報、携帯を手にしている。
どれ程踊らされたら気が済むのだろう。
木屋町の交番所前には、制服の警官がとにかく沢山いる。
ワークショップは、何時もの流れで進んでいった。
流れに乗る、とか表現塾は手こずっている。
しかし、表現塾で唯一満点を出したのは、平岡さんペアだった。
さすがベテランの役者さんだ。
技を持っているから、観客側の人達にアピールしやすいのだ。
良い雰囲気の中で明日は楽日だ。
常連のモダンダンスの先生が、生徒さん達を連れて受講してくれることになっている。

■2010/11/15 ( 月 )  50人のドミノ倒し

京都のワークショップは無事終了。
最終日は一コマ50数人になり、会場の講堂も熱気で窓を開けなければならない程だった。
シゲヤンも、前日の別府での本番を終え、朝一番の新幹線で乗り込んで来た。
栃木や熊本、茨城、静岡他、近畿圏以外からの参加者や一般の人の参加も多かった。また、地元の人の参加者が少なかったのが、今回の特徴だ。
特に、ダンス関連の人達が殆どいなかった。
大阪が3としたら、京都は7位の割合でダンサーがいる、と聞いていたが、それだけを言えば拍子抜けという感じだ。
また、コンタクト・インプロビゼーションの人達も、多いらしかったのだが残念でした、だった。
打ち上げで、2次会が終わったのは、午前3時前。
庭師、建築関係、ケーキ職人、格闘家、ギタリスト、主催者を除いてダンス関連の人はいなかったのは寂しい。

先日、背中で床を感じて行くで、数珠繋ぎでやった。その時よりも参加者が多かったので、もう一度やろう、ということになり、ぶっつけでやってみた。
倒す役は、小学 4 年生の女の子。
彼女が床を感じようと身体を動かす。
50数人がドミノ倒しのように転がるスピード感は、想像を超える面白さだ。

youtube にアップしましたよ。
参加してくれた皆さんありがとうございました。
次は来年2月5日から、ダンスボックスです。

■2010/11/16 ( 火 )  その場でしか出来ない

打ち上げは本当に楽しかった。
平岡さんがお隣に座ってくれたので、色々と即興で試す事が出来たからだ。
「 2 月の神戸でのワークショップの後半は、全コマ『表現塾』にし、ショーケースをするのですよ」
「それは楽しそうですね、絶対に参加しますから」「ピナバウシュがあっちの方向に行ったでしょう、あんな中途半端なことでええんやったら、と思って一寸考えていることがあるのです」
そんな話から、二人で即興で芝居を始めた。
平岡さんの隣にいる奥さんは大笑い。
「いいわ、絶対に観に行くからね」
「日野さん、ほんまは出たいんと違いまんのんか」
目の前にあったメニューを使って朗読。
じゃあ、それに伴奏を、ということでジャズギターリストにふる。
「あかん、あかん、それは只の合いの手や」
「ジャズではこんな隙間を埋めるような作業が多くて」
「伴奏はそうと違う、ちょっとやるで」
テーブルドラムで一叩き。
その場だから出来た、平岡さんや周りの人との会話。
本当の会話だ。
それこそを即興と言う。
隣のテーブルを見ると、若い参加者は自分達の話で盛り上がっているようだった。
「それをしたいのなら打ち上げに来るな!」
何時でも出来る話、自分達のレベルの話。
自分達だけしか分からない話。
それをするのは中学生、高校生のレベルだ。
現実をはっきりと認識できない時期だからだ、それは仕方がない。
だから、人の話も、自分よりも高度なレベルも、他人の話から自分の人生で役立つことを選択できないのだ。
平岡さんの奥さんが、目の前にいた若い人に
「あんたらは、幸せやね。こんな話はどこへ行っても聞けないよ」
こんな話は、書き続けているが、今回もそうだった。
例えば、ワークショップでやる事に意味があって、雑談には意味が無い、と判断している、あるいは、無自覚的に思っている。
だから、同類の者としか会話が出来ない。
いや、会話が出来ないから、同類のものと寄り合ってしまうのだ。
実際に重要な意味のあることが展開されるのは、雑談しかないのだ。
大学生に
「何か面白い話をしろ」と振った。
大学生の話が終わった
「あほか、お前の話は面白ろないわ」
と一喝。
間髪を入れず平岡さんが、大学生の話を語りだした。
ちゃんと落ちを作って。
一同爆笑。
という荒っぽいやりとりが、実際の勉強になるのだ。
勉強は構えた場所にあるのでも、構えた時間にあるのでもない。
何気ない時間に常にあるものなのだ。

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