2010神戸春塾

2007 年春から始まった NPO 法人 dancebox 主催のワークショップも 6 回目を数えた。
その間に天王寺から新大阪、そして神戸・新長田と拠点は移動した。
行政に翻弄された結果だ。
もちろん、それにめげる dancebox ではないし、主宰の大谷君ではない。
ますます、大きな企画を打ち上げ「新長田だから面白いことが出来る」と、芸術を根付かせようと行動している。

今回は土・日を 2 回するという変則的な日程を組んだ。
地元の参加を念頭においたからだ。
その甲斐あって、地元の人達も多数参加してくれた。
そして、「武道塾」ということで、そもそも私が「身体」にアプローチする元になっている武道とはどういうものか、を紹介したいという事で、初めて改めて「武道とは」を行った。
大方の人が木刀を持つのが始めてだから、危ないかなと思っていたが、意外とスムーズに流れた。
正座の状態で木刀を上段に構える人との対峙は、みんな緊張感を持って取り組んでくれた。
しかし「指先を出す」という動作はぎこちない。
つまり、日頃がさほど明確な意思を持たずに手を使っているということだ。
むろん、ダンサーとて指先が出る人は少ない。
何となく「手」なのだ。
「指先やで!」何度注意したことか。指先は身体の末端である。
その末端に意識的指示を出せば、身体全体は連動し繋がった動きが出来る。
全体を動かすのではなく、動いてしまうのだ。
つまり、「自然に」ということになるのだ。
連動する為の部位の知覚。
刺激を作り出し、それを知覚し刺激で線を認識する。
その作業が、身体全体が動いた時、密度の高い連動をさせるのだ。
一コマ終わって 1 時間の休憩に入るが、今回は何故かその休憩時間を短く感じた。
WS 期間中少し寒かったが天気にも恵まれて、本当に快適なワークショップだった。

■ 2010/05/23 ( 日 ) 神戸ワークショップ第一弾終了

神戸のワークショップは、みんなじっくりと取り組めたようだ。
何時ものようにショーケースがあると、そこを目指してしまうので基本的なレッスンが疎かになる。
ワークショップとしては初の武道塾も、頭をひねりながらもみんな楽しめたようだ。
しかし、飛び石のワークは初めてなので、何だか勘が狂う。
1 日 7 時間 30 分集中的にする稽古は、何かを掴ませる。
もちろん、問題を持っている人にとっては、だが。
身体塾では、胸骨トレーニングを集中的にし、胸骨→腕、という繋げる系統を複数行った。
時間をかければかけるほど、精密度が要求されることになる。
そうなると、興味本位で参加している人は、「分からない」と、落ちこぼれていくことになる。
それはいたしかたのないことだ。
「分からない、という前に工夫をすること。分かる必要などありません。出来ることに、自分の身体を感じ取ることに意味があるのですから」
と何度も言うが、そんな人は最後まで「分からない」を口にする。
何時も書くように、そういう人達にとっては「感じる」ということすら、実体ではなく思考なのだ。
当然、感じることなど出来る筈も無い。

質問の時間では、色々と出てくるがやはり「どうすれば?」ということになる。
答えが欲しいのだ。
答えが欲しい人というのは、切実な問題を持っていない人だ。
もう少し具体的に言えば、興味本位の人だ。
問題を持っている人は、その答えを自分の力で出さなければ意味がない、ということを知っている。
だから、「どうすれば?」と同じ言葉を用いた質問でも、その背景が違う。
当然、「どうすれば」に対して待って答えは、答えではなくヒントが欲しいのだ。
今回は、遠路トロントから参加してくれていた女性が、色々と質問してくれたのがみんなにとって非常に有意義だった。
しかし、どうして皆は質問しないのだろう。
きっと優等生でありたいのだろう。
「意識」という代物のとらえ方、エネルギーをどうするのか?等々、一般的に出回っている言葉に対しての質問だった。
「金儲けでやっているセミナーやワークショップでは、そういった分ったような分らない言葉を使うから気をつけて」

■ 2010/05/29 ( 土 ) 近道

一昨年の神戸のワークショップでショーケースをした時、オーディションを受けるかどうかを迷ったダンサーがいた。
というのは、もしオーディションに通れば、ショーケース当日が初出勤の日と重なっていたからだ。
彼女は考えた挙句、オーディションに通らなくても良いからと受けた。
そして無事オーディションに通りショーケースに出た。
その彼女を 2 年ぶりに見た。
途中色々あったが、仕事をきちんとしているので、引き締まった顔をしていた。
「仕事は出来る」と、根拠の無い自信を大学時代に植え付けられていたので、実際の仕事に向かい合った時、自分の無能さを知ることになる。
その、無能さと正面から向かい合えなく、かなりのストレスを抱えていた時期があった。
しかし、それを乗り越え、学生の時は、ボーッと突っ立って気も利かなかったが、今は違う。
色々気が利きテキパキと動いていた。
ワークの時も理解度が深まっていることが良く見えた。
仕事となると、色々と責任も負うことになる。
そんなプレッシャーが、彼女を育てているのだ。
仕事をするか、ダンスで行くか、と迷っていた時、絶対に仕事をしろと薦めた。
社会的なところで、頭を働かせることや、実務的な人間関係を学ばなければ、学ぶところがないからだ。
それを身につけてからダンスをしても遅くはない。
遠回りだと思えることが、実は近道なのだ。
カナダから参加してくれている女性は、今週木曜日に帰国予定だった。
しかし、ワークが面白くて、全部受けてから帰国すると予定を変えた。嬉しいことだ。

■ 2010/05/29 ( 土 ) 凄い人だらけ

昨日はワークを終えた時、ダンスボックスを主宰する大谷君と飲んだ。
「少し飲んだ方が仕事がはかどるから」というので、一杯付き合った。
色々な話の中で平田オリザさんの話になった。
芸術方面の予算獲得や新しい劇場法などを、積極的に生み出すことに尽力している、「ほんまに、おもろい人やで」と大谷君。
「ほんまやな、一回一緒に飲みたいな」と盛り上がった。
大きい視野に立ち、ものごとを戦略的に進めている人の話はきっと面白い。
大谷君自身も神戸市と組み、日常生活において芸術ということの必要性、という視野に立ち色々と展開している。
「昔は、みんなやんちゃだけ、やんちゃしか見えなかったけど、今のフィールドは世界になっていたり、様々なジャンルで認められているのは嬉しいね」
としみじみとした話にも華が咲いた。

話は全く違うが素晴らしい言葉と出会った。
地唄舞の故武原はんさんについての言葉だ。
武原はん 87 歳時の舞台を見た渡辺保氏が
「…しかし、 32 年前には、その美しさは『身体の線』にとどまっていた。…にもかかわらず私は 32 年前よりも今日の方がはるかに美しいと思った。なぜならばその美しさは『身体の線』をこえて、歌舞伎座の舞台にひろがる精神的な美しさだったからである 日本の舞踊 渡辺保著 岩波新書」
と語っている。
この本は、ダンスボックスのスタッフである文さんが、大学時代の論文の資料にしたそうだ。
渡辺氏の洞察力の深さ、そこから紡ぎだされた言葉の深さに感動した。
「身体の線をこえて、一人の人間の心境があらわになるというような方法こそ、実は日本の舞踊の古典が求めているものに他ならない」
日本舞踊の深さ、つまり、武原はんに見られるように、老いて行くほどに芸が冴えわたるという日本舞踊を端的に表現する言葉。
言葉のプロは凄い。
この一点は、正に私の求める武道の世界にも共通する。

■ 2010/05/30 ( 日 ) 後一日

少しお腹が減ったので、宿泊ホテルの近所のお好み焼き屋に入った。
「ここはあかんで」という雰囲気が漂っている店だったが、美味しい店まで歩くのもしんどいので、入ってみた。
漂っていた雰囲気は正しかった。
「こんなもん、家で焼くお好み焼きよりあかんやんけ」
鉄板にひく油も古いから不味い。
それに輪をかけて不味かったのが生ビールだ。
ババアがサーバーの掃除をしていないのだろう。
雰囲気を信じなければ駄目だ。
美味しいと言えば、三宮で食べた「たん」のコース。「一体何を食べているんやろ」と疑ってしまうほど美味しかった。
何でもメジャーリーグのイチロー選手も帰国の折には、何時も食べにくる店だそうだ。
その明くる日に元町駅付近で食べた中華も、あっさりして絶品だった。

今日の武道塾に珍しい受講者がいた。
バレーボールの選手だ。
縦系の連動と胸骨と腕の連関だけを指導した。
即使って貰う為だ。
縦系の連動と、胸骨操作を使うと球が重くなるし、スピードも出る。
身長 193 センチには驚いたが、是非マスターして外国のチームに勝って欲しいものだ。

ショーケースが無い分、一つ一つのレッスンに時間をとれる。
その分、レッスンがハードになる。
受講者全員筋肉痛に悲鳴を上げている。
休憩時間は、殆どの受講者がスタジオで寝ている。
もちろん、こちらもハードで何がどうだか分らないが疲れている。
連日参加しているシゲヤンもバテ気味だ。
胸骨トレーニングを要に縦系の連動や、背骨操作。それは毎回新しい人が参加してくるので仕方がない。
だが、その分知っている人にとっては、検証が出来る。
後一日、エンジン全開で明日に臨もう。

昨日神戸の WS を終えた。
打ち上げを少々。
その後の 2 次会で結構酔いが回り、朝まで酒が残っていた。
疲れが出たせいかもしれない。
今回の WS は、役者さんの参加が目立った。
公演に出演してもらった、平岡さんが紹介してくれたからだ。
また、島根や徳島からも常連さんが来てくれていた。
最終日に一瞬ブチ切れたが、受講者は皆普段よりも熱心に取り組んでくれていたように思う。
しかし、取り組む人を見ていて、つくづく身体操作は頭の操作であり、イメージ力であり、その目的に応じて違うものだと思う。
ただ単に身体に興味があって、という人は、何が何だか分からない、で時間が終わってしまう。
目的を明確に持っている人は、ワークそのものは出来なくても、大きなヒントを持って帰る。
2005 年に、初めて表現者向けのワークショップ開いた。
その時「トレーニングの達人になるのではないでしょう」
と参加者に言ったが、そういう人の何と多いことかと、これもつくづく思う。
誰が何の目的で取り組むのか、ここの自覚が大きな差を生むのだ。
しかし、そんなことは改めて意識することではない。
すでにどこの誰で何をしている自分なのか、は分かっている筈なのだから。

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