ふと空を見上げれば、何時も太陽がある。
夜になると月が見える。
そこに何一つ不思議を感じることをしない。
そういえば、地球は太陽と向かい合っている。
正に正面から向かい合っている。
もちろん、我々はその関係を知らなくても、関係を享受している。
そこに見えるのは、陽の光であり、月の光であり温もりだ。
ほんとうにそれだけか。
そこには目には見えない引き合う力、引力が発生している。
それが関係の源だ。
それが絆だ。
絆というのは、目に見えないものがあるから、あるいは、目に見えないものの何かで生れるのだ。
すると、そこに変化が生まれる。
運動という変化だ。
昼夜という表情として。
大事なことというのは、得てして目に見えないものである。
地球と太陽は、向かい合っている。
人も同じように人と向かい合う。
すると変化が動きとして生まれる。
こころの動き、意識の動き、感情の動き、細胞の動き。
そこには、目に見えないものが働いているからだ。
それは、目に見え、そして理解出来る言葉でも、理由でも意味でも、我々人間が創り出した価値観でもない。

それを愛と呼びたい。

その愛という現象こそ、生。
生きているということだ。
そして、生きているとは、目に見えない絆により動かされているということだ。
それは、まるで川に浮かぶ木の葉のように。
風に煽られる波のように。
一瞬たりとも同じ表情はそこにはない。
それが生きているということだ。

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2010 年 2 月 28 日岡山市立市民文化ホール 3 月 4 日埼玉彩の国小ホール。
私が考える「舞台とは」、の初公演を行なった。
そのプログラムに書いた文章が上記のものだ。
これは、長年の武道の研究の中で、ようやく辿り着いたところである。
ダンスとの本格的な出会いは、 web ページに書いているように 2005 年 ForsytheCompany との出会いであり、その年 7 月に行なったワークショップからだ。
だから、ワークショップで行なっているワークの一つの集大成であると同時に、そのワークだけで本当に舞台が成立するのか、の実験でもあった。
核になるのは「正面向かい合い」だ。

1960 年代辺りからコンタクト・インプロビゼーション( CI )という手法がダンス界に現れた。
その後、その手法は、殆ど一般的な手法として定着し、現在もある意味での主流をなしている。
私がその手法を知ったのは、もちろん 2005 年以降だ。
安藤洋子( ForsytheCompany )さんと出会って初めて知り、 ForsytheCompany のスタジオで展開される動きからその実際を体験した。
「これは違うだろう」
ForsytheCompany のダンサー達に投げかけた私の言葉だ。
「何も関係していない、単に肉体が触れただけだし、動きは個人のクセに過ぎない」
もちろん、ダンスとしての CI はそれで良いのかもしれない。
しかし、残念ながら私は武道家だ。
だから、武道の視点で見るダンスの CI はインチキにしか見えないのだ。
そのことを率直に彼等に伝えた。
そして、彼等と一緒に動いた。
一人一人、もちろん、 William Forsythe 自身とも毎日毎時間動いた。
いや踊った。
一様に「本物のコンタクトだ」と感嘆した。
「日野、それを教えて欲しい」
カンパニーのダンサー達や William Forsythe 自身からも頼まれた。
その時を初めとして、毎年カンパニーに指導に行くことになり現在も続いている。
そこで指導する内容をそっくりそのまま日本のダンサー達に指導したのが、 2005 年から始まったワークショップだ。

「正面向かい合い」というのは、見詰め合う事ではない。
相互に関係することだ。関係する、つまり、相互において何らかの変化が起こるということである。
心理的生理的肉体的に何らかの変化が生まれるのだ。
ダンスで言えば、自分のクセや記憶意外の動きが生まれる、つまり、そこに創造現象が起こるのだ。
つまり、即興そのものが展開されるということでもある。
そのことで一番難しいのは、意識的になってしまうところだ。
つまり、「向かい合っている つもり ・向かい合っていると 思う ・向かい合おうと 思う 」になってしまうところだ。
だからそれは、自分自身の自意識や思考レベルとの勝負だというのだ。

「動くな、動かされろ」
動くというのは、自分自身のクセや自意識が端的に現れる。
だから美しくない。
どちらかと言えば気持ちが悪い。
大方が自分のコピーをしているに過ぎないからだ。
「動かされる」と、誰かが主導権を握っているので、意識的動きは現れない。
つまり、純粋に身体が動くということだ。その身体は誰の目にも美しい。

そのような単純で、しかも深いキーワードだけで作ったのが、今回の舞台だ。
もちろん、舞台としても公演としても大成功だった。
岡山公演の 1 週間前から合宿に入った。
1 日 10 時間ダンスと舞台と向き合ったダンサー達。
ダンサー達は、それぞれ自分自身の舞台を持っている。
しかし、私の舞台では初心者同然になる。
それは、振り付けられた運動が目的ではなく、相互に関係することが目的だからだ。
そして、舞台を観に来てくれるお客さんと関係することが目的だからだ。
合宿中、殆ど全員が泣いたのではないだろうか。
私の駄目出しは、一朝一夕でクリアすることではないからだ。
つまり、ダンサー一人一人の生き様を問うことになるからだ。
「舞台を舐めるな!」
この一言に集約された今回の公演。
そこに参加したダンサー達は、公演後それぞれの舞台に帰った。
そこで輝いてくれたら、この公演は本当の意味で大成功だと言えるだろう。
しかし、全員リベンジに燃えているだろうと思う。
私に対するリベンジだ。
「駄目だし」されたことに対するリベンジだ。
それこそが大きな力となる。

幕が下りると盛大な拍手があった。
友達の拍手ではない、本当の拍手があった。
誰にでも贈る「ブラボー!」ではない、暖かい拍手だけがあった。
日頃ダンスとは縁の無い人達が沢山来てくれた。
その人達の偽りの無い拍手だ。
「どうして埼玉で東京ではないのですか?」
埼玉に足を運んでくれた人達の声だ。
「ここしか空いている小屋が無かったから」
「じゃあ、東京でもやるのですか?」

■ 2010/01/17 ( 日 ) 題 1 回合同リハーサル終了

京都での稽古は本日終わった。
顔なじみの人も初めての人も、皆でアドバイスをしあいながら、厳しく妥協の無い時間を過ごした。
顔なじみの人は、 2005 年横浜ワークショップからの付き合いだ。
というのも面白い。
1 クラス、 100 名から 170 名、延べ 2,300 人も参加したワークショップだったが、結局残ってきたのは、今回のメンバーの中の4人、そして、その年の暮れに行なったワークショップから 2 人、その年から教室に通っている 1 人だ。
その古い人達は、来なくなった人と何が違うのか。
来なくなった人から話を聞いていないので分らないが、来ている人は少なくとも、自分にとって必要なものだと思ったからだ。
その必要というのも、色々あるだろうが、ダンスということだけではなく、人生に役に立つと思ったからだ。
だから、いくら難しくてもギブアップしない。
そんな人達とのリハーサルだから、どんどん難しいことを要求出来る。
しかも、今回は俳優の平岡秀幸さんも出演するので、演出も相当面白い。
「あかんでそれは臭い」
と、容赦なく切り捨てても大笑いで「やっぱり」と切り返す。
そんな高度なリハーサルだった。
皆で食事をし、次の全体稽古では、グレードアップしていることを誓い合って解散した。

■ 2010/01/17 ( 日 ) 難しい

合同稽古の打ち上げで、平岡さんから役者の稽古のお話を聞けた。
「座る」と、「座らせられる」は違うが、それを区別して表現できないと嘆いておられた。
そういったことは、ダンサーでもある。
「手を出す」と「手を伸ばす」は違う。
もちろん、それは武道の教室でもよく見かける。
武道の場合少し難しいのは、「相手を突く」とした時、本当に相手の身体に拳を当てる。
そうすると、具体的に明確に、自分の拳は相手に当たっている。
そうすると、「相手を突く」は出来ていると錯覚する。
確かに、具体的には当たっているが、そこに「相手を突く」という意思が明確にあったのか、と言えば、大方がそうではない。
だから「具体的には当たっている」と書いたのだ。
つまり、明確な意思がそこにあるのか無いのか、なのだ。
この「相手を突く」という意思が無ければ、当たり前のことだが、それに反応することが出来ない。
つまり、武道にとって一番大切な稽古が出来ないのだ。
だから、いくら形式として、「相手を突く」が出来ていても、私のところの武道の稽古では意味が無いのだ。
それよりも、形式が出来なくても、明確な意思を持っている人であれば、稽古になる。明確な意思の無い動作を「何をしているのか分らない」と言う。
そこに、どれほどの説明があろうと、意思の見えないものは分らないのだ。
しかし、面白いのは、大方の人はそこに説明があると、そうしていると思ってしまうことだ。
実際には、そこには何も無いのに、見えているという。芝居やダンスであればストーリーがあれば見えているという。
自分はストーリーを見ているのか、芝居を見ているのか、ダンスを見ているのか、それすら分らないとはどういうことだ?

■ 2010/01/19 ( 火 ) 繋ぎ

京都の合同リハから引き続いて、東京組みのリハをした。
動きと動きの繋ぎを細かくチェックすることにした。
大きな動きは、誰にでも出来るが、問題は繋ぎだ。繋ぎが悪ければ、動きとしての必然は出てこない。
それは武道でも同じだ。
型や約束組み手の場合、どちらかが止まってしまっていることが多い。
実際的にいえば、そんなことは有り得ない。
誰も自分が攻撃されるのを待っている筈は無い。
そこで重要になるのは、繋ぎなのだ。
重要なのだから、難しいし、そこに一つの核がある場合が多いのだ。
つまり、そこを外せば動きは繋がらないばかりか、一切が嘘になるのだ。
もちろん、それが舞台となれば、余計にそこが見えてしまうのだ。

■ 2010/01/21 ( 木 ) 表現力?

意識や意思のスピードは、もしかしたら光よりも速いかも?まあ、実際そうなのかどうなのかは別にして、身体はそれらの働きを起因として動く。
ダンスや武道といった場合、その動きそのものが重要な点になる。
とした時、どうしても動きに注意が向き、動かそうとする意識が勝ってくる。
すると、身体は緊張したり、あるいはぎこちなくなる。
「横を向く」という動作が指示された場合、横を「向こう」とする。
それは、当たり前だが横を向くではない。
そんな当たり前の事がメソッドとして無いのがダンスの世界だ。
もちろん、あるのかもしれないが、厳密に駄目出しをする演出家というか振り付け家がいないということだ。
ということは、ダンサーの表現力を全く磨いていないということになる。
とすると、一体何が基準になり、表現というジャンルに属しているのか、何時もながら不思議になる。
あの作品は良かった、悪かった、という話になると、一体何の話をしているのか分からなくなる。
例えば、 1 時間という時間が舞台上で経過し、そこで得体の知れないことが起こっていれば、そして、そこに舞台とは遊離した解説でもあれば、それは作品となるのだろう。
としか思えないからだ。

■ 2010/02/20 ( 土 ) 自分を突破する

明日から合宿リハーサルに入る。大詰めだ。
ここから何か新しい事が出来るようになる筈も無い。新しい何か、ではなく、古い自分をどう捨てることが出来るか、そのきっかけをどう掴めるかだ。

段取りを意識してしてしまう自分、振り付けを意識してしまう自分、自分のやっていることに熱中してしまう自分
。一人で酔ってしまっている自分。
そういった、誰とも関われないことをしている自分に気付き、それは何故か、の糸口を掴んで欲しいのだ。
ここを突破しなければ、巷で行われている舞台と何も変わらない。
当然、面白くないのでお客さんは減っていく。
そのパターンを追従することになってしまう。
しかし、いい加減にしろよ、と思うダンスの舞台が多すぎるのは何故か。
それを評価する、本質を評価することが出来ない評論家や諸先生方が多すぎるからだ。
ダンサーも、そんな人達に評価されることを望んでいるからだ。
様々なコンクールの受賞者のダンスを見たが、高校の創作ダンスの域を超えたものは無い。
それなら、いっそのこと高校生の創作ダンスを見ていた方が余程ましだ。
何よりもひたむきなエネルギーがあるからだ。
ワークショップを終えた感想で
「ワークショップが終わった後、舞台に出演される方とお話しをしました。やっぱり目が違います。自分の思いをきちんと言葉にしているのを見て、私もこのような人になりたいと思いました!お話しを聞いて感動し、涙が出そうでした。高校 1 年生」
というのがあった。この素直な感性。
これは何歳になれば消滅し、もっともらしい言葉や意味に転換されるのか。

■ 2010/02/22 ( 月 ) 11 時間

倉敷初日。
朝 10 時から夜 9 時まで、ビッチリリハーサル。
しかし、たった 11 時間しか無い。
2 時間で一つの動きを煮詰める。
もちろん、それが完成することは無い。
その意味でたった 11 時間なのだ。
照明さんも朝から加わり、動きに合わせ照明プランを煮詰めていく。
明日は、一幕目を粗で仕上げる。
夜に入ってからの表現塾で、全員どん底まで落ち込んだ。
しかし、まだ落ち込みが足らない。
当然、そのリバウンドは少ない。
昨年の秋塾に参加した松山の丸ちゃんが、こっそり偵察に来た。
「あああ〜、一緒に出たい!!」
「残念でした!」

■ 2010/02/24 ( 水 ) 「出来た」と「使える」は別

今日も 11 時間。
ピースの一つが完成した。
もちろん、完成しただけでそのまま舞台に載せられるものではない。
つまり、「出来た」と「使える」「観れる」は全く別物だということだ。
合宿の最終日は、前日通しリハだろう。
想像するとおり、ここからが地獄なのだ。
明日は次のピースの完成だ。
宣伝活動で今日は、地元倉敷の FM に生出演してきた、
コンタクトの仕上がりは上々だ。
このまま舞台に載せても充分に観せることが出来る。
昨年神戸 db 秋塾で、この気配はあった。
それを観た出演者の友人のダンサーはこぞってブーイングを出していたそうだ。
しかし、ダンスを知らない一般の人は、不思議な雰囲気に感動したと言っていた。
さて、どちらの意見を選ぶか。
もちろん、両方だ。ダンサーのブーイングは正解だ。
ブーイングを出したダンサーは、動くことがダンスだと思い込んでいるので、動きの少ないものには反応出来なかったのだ。
そして、何よりもコンタクトしているダンサー達の雰囲気を感じ取ることが出来なかった、ということを知ることが出来て正解なのだ。
しかしそれは、一般の人の感性の方が柔軟で鋭いということだ。
それは一体どういうことか。
もしかしたら、自称ダンサーは余りにも狭い感性しか持っていないということなのか。

■ 2010/02/25 ( 木 ) 冷静でなければ

昨夜は入浴を済ませてからミーティングをした。
駄目出しだ。舞台ではどれほど冷静沈着でなければならないか、に関することを話た。
3 幕目はシンプルな作品だ。
故にその冷静さが最重要事項となる。
自分自身の感情が表に出てしまうと、途端に高校生の演劇部になる。
感情は表現するものであって、自らの感情に振り回されることではない。
どうも、その辺りを勘違いしている人が多い。
幼稚な感情を出されてもしようがないのに。
2 幕目の立ち姿は、殆どのメンバーが美しくなってきた。
同時にそこに作られる空間や空気感はどんどん密度を増す。
「耳をすませ!」キーンと音が聞こえるほどの静寂、耳が痛くなるほどの静寂が、その場に広がっていく。
この空間をそのまま 1 幕、 3 幕に適用出来れば、相当不思議な舞台空間になるし、それが目的だ。
全員がコネクトされているからだ。

昨日は、稽古場が休みの為、大学のスタジオを借りてのリハーサルになった。
フォーサイスカンパニーが使っているスタジオよりも、設備も規模も大きいスタジオに驚いた。
箱はお金があればいくらでも造ることが出来るが、だからといってよいダンサーが育つとは限らない。
こんな至れりつくせりのスタジオを使っている学生達の動きを見てみたかった。
エキストラの人達が参加。
胸骨を上げての歩く練習と、簡単なパターンをエンドレスで動くというのをやってもらった。

■ 2010/02/26 ( 金 ) 誉めて育てる?

テレビや写真でしか見たことがなかった倉敷の街も、結局ホテルとリハーサル会場の往復だけでどこにも行けなかった。
何時もこのパターンだ。
点から点だ。
明日からは会場リハーサルに入る。
俳優の平岡さんも今日から乗り込んでくれた。
「耳をすませ」で何を獲得したのか。
それを使っての他のピースが出来ない。
「今、何をしていた?」
「動きに集中しているような身体など、ボケていて見られない」
「臭い演技をするな」
徹底的に駄目出しを出す。
「外を歩いて来い!」
どんどんプレッシャーをかける。
何人泣いているか。
「そんなボケた身体は舞台に載せられない」
本番まで後 2 日。

今日は、地元岡山にあるバレエ教室の先生が、リハーサルを見学に来てくれた。
プレ公演ではないが、作品の一つを見てもらった。
終わったら、その先生の顔が変わっていた。
「何か分からないですがグッと来ました」
と涙ぐんでいた。
「今日、見せてもらって本当に良かったです。どう宣伝して良いか言葉が分かりませんが、とにかく一生懸命伝えれば分かってもらえると思います」
と、宣伝を約束してくれた。
最後の最後に心強い味方だ。
「よっしゃー」畠違いの先生を感動させたのだから、自身を持って良い。
しかし、まだまだ最後まで徹底的に追い込む。
誉めて育てろ、糞食らえだ。
みんな確実に緊張感のある顔になってきている。

■ 2010/02/27 ( 土 ) 公演まで後 1 日

残り 1 日。
言われたことは出来ない、だから自分で考えろ。
自分の力を知り、それを基本に自分で考えろ。
そんな習慣が全く無い、ということが目に付く。
しかし、集中された 1 週間は、確実に進化の差を生んでいる。
それに皆は気付いているのか、いないのか。
明日はそこを突っ込む。
自分自身が観客になった時、舞台に何を見ているのか。
それが自分の進化と比例して関わる。
昔、友人が、「誰も映画を見ていない、ストーリーを追っているだけだ」と言っていた。
同じように、舞台での動きや舞台背景は見ているが、ダンスは観ていない。というよりも、コンテンポラリーの場合は、そこにダンスは無いのだから仕方がないが。
そこをどう突破出来るかが、今回の公演だ。
大きな和太鼓が入り、音を出すと、その圧倒的な音量に身体は圧倒されてしまう。
「自分の世界に入るな、こちらに見せろ!今日夜もう一回悩め」
ラスト 1 日に、驚異的な進化を祈る。

■ 2010/02/28 ( 日 ) ゲネ終了いよいよ

ゲネは無事に終了。
地元で応援してくれている人が、「うなぎ」の美味しい差し入れをしてくれた。
昨日もリハーサルを見学に来て、皆がゲッソリしているのを心配して差し入れてくれたものだ。
岡山で募集したエキストラの出来が良かった。
「身体を動かすのがダンスではなく、動くのがダンスの原点だ」
その意味の作品が 3 幕目にある。
皆必死で挑戦。
参加してくれた一人が、
「身体が動いてくるのは、本当に快感でした。身体が動くのは本当に楽しいのですね」
とゲネ終了後頬を紅潮させて言っていた。
「そうや、それがダンスやで」
プログラムも T シャツも会場に着いた。
プログラムは 8 ページの力作だ。
さすがプロ。
本当に素晴らしいプログラムが出来上がった。
それに負けない舞台にしなければ。
明日は 10 時入り、いよいよ本番だ。

■ 2010/03/01 ( 月 ) 岡山大成功!ありがとうみなさん!

岡山の公演が終わった。
想像以上にお客さんが感動してくれた。
そこには熱く感動した本当の拍手があった。
もちろん、「分からない」という人も沢山いた。
アフタートークでそんな話もした。
「舞台は分かる、分からないではなく、景色を観て感動するようなことだ」と。
それでも相変わらず「判る判らない」という人がいるが、それは仕方が無い。
そういう理屈や判断だけしか、自分として信じられないのだから。

それはさておき、岡山でコンテンポラリーダンスの公演が成功した。
400 人足らずだが、コンテンポラリーダンスを殆ど知らない人が足を運んでくれたからだ。
奇跡である。
特に 3 幕目は、かなり実験的なことをしたのだが、それが一番感動を呼んだ。
福岡で舞台や公演を制作する人も
「岡山の奇跡だ、コンテンポラリー界はそう捉えなければ駄目だ」
と語ってくれた。
そして、感動してくれた。
この熱を冷ましてはならない。
コンテンポラリーダンスを支える、照明の人を初めとするスタッフの方たちの誰もが、お客さんの数がどんどん減っているという。
それを逆転しなければならない。
その為の第一歩は成功した。
しかも、岡山という地方で。
公演を観た別府の方からも公演をして欲しいと依頼があったそうだ。
それこそ地方分権、地方主権ではないが、地方の方が熱いのかもしれない。

この公演を支えてくれた、多くの友人知人、そして、その知人の方達。その人達がいなければ、公演は成功していない。
「会場に足を運んでくれた人、応援してくれた人、本当に、本当にありがとうございました。またエキストラとして参加し、慣れないことに一生懸命にチャレンジしてくれた皆さんも、本当にありがとうございました、お疲れさん!!!」

つまり、一人では何も成し得ないということだ。そういったコンテンポラリーダンスを応援してくれる、ダンスを知らない人を増やせるか。
そこが鍵になる。
3 月 4 日は埼玉彩の国だ。
仕切り直して新鮮な気持ちで舞台に向おう!

■ 2010/03/06 ( 土 ) ありがとうございました

始発電車まで、美味しいお酒を飲めた。
舞台監督や照明さんも大喜びしてくれた。
小雨が降る中、多くの人達が埼玉に足を運んでくれた。
平日で小雨という悪コンディションの中で、満席とはいかなかったが、そこそこ一杯という感じだ。
足を運んでくれた皆さん「ありがとうございました!!」押切さんが早速感想を書いてくれています。 http://miti4.exblog.jp/  
美の護身術の制作の皆さん。
全く畑違いの科学者の人達。
とにかくダンスに関係する人達より、ダンスに余り興味の無い人が多かったように感じた。
前代未聞のビフォアートークも、押切さんの誘導で楽しく納まった。
岡山での公演を終えた後、何箇所かの手直しの必要を感じていた。
しかし、その代替アイディアが直前まで浮かばなかった。
前日リハーサルの終了間際、閃いたのでそこを完全に変えた。
「どうすれば、ダンサー達がもっと際立って見えるか」
その一点に拘っている舞台だから、その為には中味をどんどん変える。
1 部のオープンはそっくり変え中盤のシーンも変えた。
2 部は、違う作品なのでは、と思うくらい変更。
3 部はスピードアップした。
その変更は良い方に作用した。
舞台は生ものだから、いくら演出しようが、そうならないこともある。
それも踏まえて最善の方法を用いた。
コンテンポラリーの現状は、作品主義だという。
「作品?」と頭をひねってしまう。
所詮舞台上には身体しかない。
それの動きをいくら変えようが、本質的には何も変わらない。
つまり、動きの質も、それを誘導する本人の感性の質も変わらないということだ。
となると、どんな思い込みを持って、その作品なる幻想を維持するのかしかない。
そうなると、身体は極度の思い込みのフィルターでくすんでしまうのだ。
いかに純粋な身体にするか。
もちろん、その稽古は難しい。
押切さんは、 2005 年のフォーサイスカンパニーでのワークショップや、その年の横浜での初めてのダンサーや表現者の為のワークショップ、ショーケースを体験してくれている。
その押切さんが
「いやあ、ココまで進化するのを見ると感慨深いです」と。
私としては、余り進化した実感は無いのだが、周りから見ると皆進化したということだ。
言わば、私のワークショップを続けるとこうなる、という一つの成果発表的位置づけでもあったのが今回の公演だ。
「東京でも是非」と画家の寺門さんや、多くの方から嬉しいリクエストがあった。
何はともあれ、「岡山、埼玉公演に足を運んで頂いた皆さん、本当に、本当にありがとうございました」

■ 2010/03/07 ( 日 ) 埼玉公演感想

教室に来てくれている一人が、ツィッターに書き込まれていた埼玉での公演の感想を拾ってくれました。

●この舞台。観客をほったらかしにしない。頭じゃなく身体が反応した。びくっと痙攣・鳥肌・ボコッと腸が動く(笑)なんだこれは!…

●さいたま芸術劇場で REAL CONTACT 2010 観た!面白かったー。みんなぶるぶるしてた笑。友達の友達が出演

●埼玉芸劇でリアルコンタクト。もとジャズドラマーの日野晃による「日野武道」。やばいかも・・と思いながらも行ってよかった。どんなダンスより美しい。TPAM捩子ぴじんで踊っていた人も出ていた。

●今日は日野晃「 Real Conect 」@さいたま芸劇に行ってきた。すごかった!リアルダンス !!

●日野晃公演、タイトル間違えました。ただしくは「 Real Contact 」です。しかし、批評家が誰も来てなかったなー。勿体ない。

●昨日、日野晃『 Real Contact 』を観て来た兄夫婦。二人ともダンス初体験。お義姉さんは観終わった後、動けなかったらしい。で、「あ、涙出てる・・・」と気がついたくらい、感動してたみたい。次回は、絶対私も観る。

●リアルコンタクト。一幕では、うらやましくて泣けてきたんです。自分に足りないリアルなコンタクトがそこにあるから。

●頭は全然ついていけてなかった。でも静かに侵食されてます。昨晩は、スーパークリアハイビジョン的な映像で夢に出てきて、今日は仕事中にフラッシュ映像が。しばらく、続きそうです。

●日野先生の舞台終わりました。上質の舞台でした。今回誘ったダンサーは 10 年来の付き合いで、うまくいけば日本を代表するダンサーになるとかっている一人です。でも本人の意識とダンスの将来性が問題です。「良かったでも舞台に立ちたかった」と、当然の感想です。私だってそうですよ、だけどもう無理です

●ビフォートークに少し遅れたのに、最前列のほぼ中央をゲット。半分以上顔見知りで、一緒に行ったダンサーの知人も出てました。しかし客席は埋まってません、世界に誇る日野晃の舞台なのに、いったい日本人は何をやっているのか!何で見にこないのか、どうして理解しようとしないのか!?嘆くべきは自分の感性に自信を持っていない、他人と迎合しないと不安である現代人気質の奴隷であることから解放されることさえ望まない、平穏という監獄であること。

つぶやいてくれたみなさんありがとう!!その感性に感動します!

 

2005 年から始めたダンサーや表現者の為のワークショップ。
延べ何回になるのか、数えたことはないが、かなりの数になると思う。
そのワークショップに残っていたのが、今回舞台に立った中の 10 人足らずだった、というのは少なからずショックだった。
ForsytheCompany のダンサーや、外国のダンサー達は、毎年日本に習いに来てくれたり、私が海外に出向いた時に参加してくれる。
また、外国では徐々に私のメソッドが定着しつつある。
今までに、一度でも私のワークショップに参加した事のある人であれば、
「あのワークでどんな舞台になるのだろう、続けていたらどんなダンサーになるのだろう」
と好奇心を持って舞台に足を運んで欲しかった。
最近ワークショップに来てくれているダンサーが埼玉終演後、目に涙をためて
「凄く良かったです!」
と、感動を言葉にしたくない様子だった。
間違いなく、今回の舞台に立った人達は、 5 年前の皆よりも成長しているし、今後も成長していく。
時間性の中で生きているということは、時間の差が確実に付くということだ。
この時間は残念ながら取り返すことは出来ない。
絶対に 5 年前に時間を戻すことなど出来ないからだ。
しかし、その時は気付け無かっても、今何か気付いたとしたら、それは手遅れではない。
人は、それぞれに気付く時間が異なるからだ。
コンテンポラリーダンスの聖地を日本にする、という壮大なプロジェクトの第一歩は踏み出した。
そんな壮大な夢を抱えたい人は、今後のワークショップにいくらでも参加して欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  出演ダンサー

  2011 5/19-21 吉祥寺シアター公演決定!

 

 

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