SHOW CASE

即興する関係

2008
8-25・26(月・火)
8-25 19:00 8-26 14:00/18:30
前売り2,000円 当日2,500円


新宿シアターブラッツ


今回初めてショーケースを 3 回演った。やはり、数をこなすのは大切だ。数をこなすから見えてくることが沢山あるからだ。作品としての手直しを考えたり、ダンサー達の動きを考えたり、照明、音響、とにかく、舞台に関わるあらゆるものを考えることが出来る。

今回の東京でのショーケースは、大阪 dance box 主催の「春塾」「秋塾」という、昨年春のワークショップから生まれたものだ。ワークショップは、基本的には「舞台に立つ」という人達を対象とし、舞台という場を実践することも目的である。したがってワークと本番という、全く異なる意識の使い方を学ぶとも言える。そして、舞台という場は「他人から見えている自分」を知るという最高の機会だからだ。

どうして、表現者側にいる人達に改めて「他人から見えている自分」という、ごく基本的なワークをしなければならないのか、と言えば、大方がこの部分を抜いて、「自分のやりたいこと」を最優先させているだけだからだ。そしてもう一つ、大方の迷走は「イメージ・感じ」という言葉の乱用から始まっている。作品としてのイメージ、自分のやりたいことへのイメージ。それらは、舞台ではどう現れるのか。つまり、他人から観た時、それらのイメージはどんな見え方がするのか、そこを徹底的に検証していく、という作業がコンテンポラリーダンスの場合、完全に抜け落ちている。その抜け落ちによる迷走だ。つまり、「イメージ」そのものが間違っているのではなく、それを具体化する方法が無いところに、間違いがあるのだ。

8 月 18 日から始まった東京では 3 回目となる work shop 。今回は、東京でも showcase をやってみることにした。しかし、そもそもの workshop の時間が短い為、 showcase までたどり着けるかどうか不安だった。そこで、大阪で過去 3 回 auditition を通過して showcase に出演している、京都の佐藤健大郎君と、北村成美さんの出演を決めて望んだ。

 


「 2008 Real Contact in Tokyo 」

今回は、ショーケースをするという前提なので、何時ものワークショップよりも厳しいですよ、という前置きと共にワークショップが始まった。

今日一日終わった感じは、やはり受講者のエネルギー不足が目立った。
どこでどう食い違っているのか分らないが、こちらの指示に気持ちの良い返事はあるが、具体的にどうするこうするという、アイディアを持たない。
その代わり、こちらの指示を「意識する」あるいは「思う」だけで、それが実現すると信じていた。
そういった人が本当に多い。
意識するだけで、先ほどまで出来ていなかったことが出来るようになる筈もない。
ましてや、自分の過去に体験したことのないことを指示されて、意識するだけで出来ると思える能天気さは、どこから生まれているのか。
そうなった責任はどこにあるのか。
もちろん、当人が気付かなければならないのだが、「意識する」を通してきた当人の環境の問題でもある。
もしも、その当人に才能があったとしたら、それを壊しているのは、きちんとした意見をぶつけない環境だ
「甘い」ということば一言なのだが。
大学でダンスをして、という人に多い現象だ。
もしかしたら、自らの才能を壊しに大学へ行っているのかも知れないのだぞ。
例えば、「表現塾」の時、一人の若者に
「観客に見せていないから、もっと観せるようにやって」
と指示を出した。
若者は「ハイ」と頷いて、もう一度動きをやった。
全く同じだ。
「全く同じだけど、何を変えたの?」
「観客を意識しました」
「えっ、意識すれば出来るの、じゃあ、観客 1,000 人だとしてやってみて」
「ハイ」
「何を変えたの、ずっと一緒だよ、今自分で何をしたの?」
「意識しました」
「一寸待って、 1,000 人の観客の前で踊ったことがあるの」「ありません」
「じゃあ、どうして 1,000 人という観客をイメージできるの」
「意識して…」
「その意識して、ってどういうこと?」
「……」
この調子だ。
自分の話していることが、現実ではないし具体的ではないということを知らないのだ。
これが大学で学ぶダンスのある結果だ。
もちろん、全部が全部ではないと思いたい。
本当に、自分に才能があるとしたら、壊しているのは、こういった夢のような言葉を否定しない環境なのだ。
ダンスは夢ではない。
全て現実であり、具体的な稽古の積み重ねの上にしかないのだ。

それはそれとして、今回はショーケースがあるから、中身をどんどん進めていった。
その分参加者達は、瞬時に発想の転換や、その場に適応していかなければならない。
それも練習だ。
もちろん、そんなことは社会的に言えば当たり前のことなのだが、残念ながらダンスをしている、という人に限ってその発想の転換を持たない。
今日は、明日からのテーマをざっと並べた感じだ。
明日からは、ショーケースの為の具体的な稽古に入る。

 

気合を入れて二日目。

厳しい稽古と楽しい稽古の背中合わせ。
表現塾では「二人組」で行う。
テーマは、「二人で組んでいることが観客に見えるか」だ。
事実として、二人組で行っているが、それは単なる事実であって、そう表現しているのではない。
それを分るには、相当時間を要した。
しかし、それが徐々に見え出すと、クリアできない人が増える。
駄目出しがどんどん出る。
全員がクリアできない。
「これだけ本質的なものが見えるようになると、殆どの舞台は観るに耐えない」と北村さん。
本当に表現するのは難しい。
そういった指摘をされないまま、舞台をこなしている人も多いので、中々それを理解するのも難しい。

結局「ナマムギ合戦」に落ち着く。
やはり、これしかないのだ。
その稽古をやった後と前では、全く表情が違う。
後は、みんな生き生きとしている。
それは、きちんと自分の向かう相手がある、ということ、そして、その人に働きかけるという作業をしなければならないから。そういったごく当たり前のことに力を注いだ時、人は当然のこととして活き活きとしてくるのだ。
いわば、細胞が活性化されたのだ。
しかし、日頃からそうならないのは何故か。という問いかけから、日頃がそうでないなら、表現者側に回るのはもってのほかと一喝。
涙目になる人も出る。
あ〜あ、またこれで来年のワークショップの参加者は確実に減るな。
本当に、少し叱ると教室に来なくなる。
むろん、 workshop にも来なくなる。
「どうして?」
ちゃんと間違っていることを、指摘して上げているのが理解できないのだろう。
きっと、「ただ怒られた・否定された」ということだけが印象として残るからだろう。
小学生並の感性の人が増えているのだから仕方がないか。
自分の感情に注意を向けることより、本当に上達したいとか、本当に出来るようになりたい、を優先させないのだから、仕方が無い。

明日は、本番用の組稽古に入る。
覚えの早さも選考の要素だ。
ワークショップが終わり、新木場の駅への道すがら
「よう考えたら、関西人がこれだけいたら、大阪か東京か錯覚するで」
「というより、秋は大阪がなしでもいいのでは」
「ほんまやな」
関西組みは本当に燃えている。
また、一つのモチーフを使っての、短時間の作品作りも面白い稽古だ。
世界観や、蓄積の結果がよく見える。
明日は、もっと気合を入れて、前に進む!

オーディションも無事終わった。
受かって泣く人、落ちて泣く人。
無表情な人。笑っている人。
最近は、いずれにしても泣く人が多い。
思い切り大きな声で注意を受けて泣くのなら、驚いているのだろうと分るが、どうしてこれくらいの注意で泣くのだろう、と思うことが多い。「泣く」のが悪いのではないが、泣くことで全てを終わらせている感じがあるのが見える。
それが悪いのだ。
泣こうが怒ろうが、はたまた笑おうが、何一つ解決もしなければ進展もしない。
「泣いている暇があったら何かしろ!」
自分の感情の高揚に振り回されるな。
また、怒鳴らなければならない。

今回のオーディションは、海外からも参加してくれていた。
イギリス、フランス、オランダ、アメリカ。
しかし、通過したのは関西組みが何故か多い。
今年の「春塾」のリベンジ組みだからか。
また、今回は若い人をあえて選んでみた。
何か出来るというのではないが、舞台を踏むことで大化けする可能性が見えたからだ。
しかし、もちろんしないかもしれない。
もちろん、大化けして欲しいという願いはある。
それは、明日からの二日間しかないリハーサルで決まる。
「 Real Contact 」初参加の人にとっては、私の workshop や、指示される言葉は、異次元の言葉に聞こえたかもしれない。
何しろほとんど既成の舞台やダンスの概念では、ないこと、あるいは、それらが間違っていると指摘するのだから。
したがって、理解できる人というのは、それなりに舞台経験があり、そこでの自分、あるいは、踊っている中で大きな疑問がある人達だ。「目の前に、私にとって絶対必要なものが沢山あるのに、何一つ獲得できない自分が情けない」
と号泣した人もいた。
また、「今回も何も出来なかった」と涙して帰っていった人もいた。
基本的には「悔しい」という気持ちが湧いてくれれば、それが一番嬉しい。
通過した人は、喜んでばかりはいられない。
舞台に立つのは、私ではなく選ばれた人で、その人が舞台を作らなければならないのだから。
若い二人は、「どうして、自分が?」という思いを持っていた。
しかし、そんなことはどうでも良い。
Showcace では Workshop で学んだことを、全部出さなければいけない。
そちらに集中すればよい。

 

明日は、いよいよ本番。
照明、音響の打ち合わせが終わり、いよいよ。
今日の通しリハは、今までの中で最低の出来だった。
それは、やることに慣れてくるから、自分のクセというか、自分の引き出しがどんどん開いていくるからだ。
その引き出しの中身をやりたくない、というのが、私のワークショップの主旨なのだが、どんどん思惑と離れていった。
自分のコピーをしだすのだ。
もちろん、それが過渡期の症状であって、だから悪いのではない。
よりにもよって「形に収まるようにやってみた」という言葉もあった。
一番話しにならないパターンだ。
また、「分りました」という言葉も飛び交う。
「分らない」と言う言葉も飛び交う。
そのことで、練習の時間はどんどん雑談の時間に摩り替わっていく。
やれなければやれない。
やらなければ出来ない。
やったところで、出来るとは限らない、という当然のことが飛んで消えていく。若い子も「これだと感じました」と言う。
どうして「それ」だと感じられたと思うのだろう。
自分の感性はどこで磨いたと思っているのだろう。
未だ赤ちゃんの延長にあるにも関わらず。
壁にぶつかったり、自分の力ではどうにもならない、というような体験を持たない若い子でも、こちらの言葉に反応して言葉を返す。
言葉を返した瞬間に、その時の一番大切なものは全部無くなってしまう。
つまり、ある体験を言葉にすることで、その言葉に切り取られてしまい、部分しか記憶に残らないのだ。
もちろん、その言葉が体験していること、全てを包含するようなものであればよいが、それは残念ながらその年齢では持っていない。
「安易に相槌を打つな!」
ましてや、自分のレベルでは到底たどり着かないことを学んでいるのだから。
またどうして、理解や納得したいのだろう。
そうしたところで、それが出来ないことに変わりはないのに。
しかし、違いが分らないのは最悪だ。
違いが分らない理由は単純だ。
自分自身の「思い込み」というフィルターをかけているからだ。
実は、稽古を通して本当のことは体験しているにもかかわらず、自分の思い込みが優先される。
それが子供というのだが。もう一つある。
それは、自分が舞台に生命をかけていないからだ。
生命をかけているというのは、一つの比喩だが、それほど追求していたら、自分の追及の過程で A と B は違う、ということを知ることになる、
だから分るのだが残念ながら、そこまで追求していないので分らないのだ。

まあまあ、それはそれとして、本当に明日は舞台だ。
通し稽古はゲネ前に少し、ゲネ後に少ししか出来ない。
文字通り背水の陣で望む。
出演者達が背水の陣になれば、絶対に素晴らしい舞台が出来る。
それを期待したい。

たった 5 日間のワークショップ。リハーサルに 2 日。その短期でどれだけのものが出来上がっているか。

無事に舞台が開いた。
お客さんもほぼ満杯になるほど観に来てくれた。
ある意味で、どうなることか、という心配がないメンバーになっていたので、うまくいくとは思っていた。
観客の拍手に力があった。
スタートからしばらくは、観客の姿勢は後ろへ引き気味だったが、徐々に前のめりになり、終わるまでその姿勢は崩れなかった。
もちろん、色々な感想はあるだろうが、概ね成功だったと言えるだろう。
寺門さんや皆川さん、押切さんも客席におり、色々な感想をいってくれた。

欲を言えば、もっとダイナミズムが欲しい。
もっと観客に対しての力が欲しい。
コンタクトが見えて欲しい。
また、キャリアのある人と、若い二人との対比も瑞々しく映り、それも良かった。
初めての東京でのショーケースということを考えると、大成功の部類に入るだろう。
キャリアのあるダンサーの人達は、自分のスタイルが出てしまう。
もちろん、それを超えたいとワークショップに参加しているのだ。
ワークの最中は、そういったことがきちんと頭にあるので、スタイルは出てこないが、舞台となると顔をのぞかせる。
そこがその人達の勝負どころだ。
今回は、役者が 2 人入っている。
となると、やはり雰囲気が変わる。
それが大阪とは一味違う舞台になり良かった。
ただ、役者達に台詞はない。
そのことで「物凄く緊張した」と言っていた。
何時も通訳をしてくれている、マリコさんには驚いた。
腰を壊し舞台から遠のいていたので、私としては通訳のマリコさんしか知らない。
今回はスピーディな振り付けが随所にあったので、腰のことを考えると無理かな、と思っていたのだが、それは嬉しい誤算だった。

今日は、昼夜2回公演、初めての試みだ。
お昼の予約は、笑うくらい少ない。
気が抜けて怪我をしないように注意しなければ。
今日の打ち上げは、美味しいビールが飲めそうな予感がするが、さて…。
しかしお昼の公演は、初日と同じで当日券がよく出て、平たく満杯になった。
それだけでも成功だ。

ショーケースは無事に終わった。
舞台に出た人、それぞれが課題を発見してくれていれば、このショウケースは大成功だ。
観に来てくれた人は、「緊張で息が出来なかった」から、爆睡していた人まで多種多様だった。
訳が分らないという人も、あるいは、身体がどうのこうの、という人。
ショーケースから仕事のことに関連付けし、何かに気付いてくれた人。
本当に千差万別だ。
もちろん、それでいいし、観客のコメントに対して一言の反論も無い。
それは観てくれた人の感性だからだ。
東京では初の試みとして行ったものだから、今後どう育っていくのかの方が大切だ。
しかし、ショーケースを終えてみて、何やらスッキリしないものが残っている。
その正体は分らない。
そんな話しが打ち上げの席で出た。
「何か大阪と違う」
そういえば、今回は何だか線が細く感じた。
その分舞台は、こじんまりとまとまった。
その原因は、舞台慣れした人が沢山ショーケースに出ていたからかもしれない。
つまり、舞台をそつなく消化した、という感じのダンサーもいたということになる。
それは、選んで舞台にあげて見なければ分らない。
そういった意味で、今回の3回の舞台は私にとっても非常に勉強になった。
大阪のように1回公演では、決して見つけられない発見だったからだ。

なにやらスッキリしないもの。
それは、新宿シアターブラッツに、足を踏み入れた時から感じていた。
もちろん、劇場がどうのこうのではない。
出演者達の熱気はあるのだが、何か白けた雰囲気があるように感じていた。
それは何だ?
皆で作り上げる、というポイントが希薄だったように感じた。
何か違う。
何か、それは分らない。
和太鼓という生音が無かったというのも原因かもしれない。
照明の人との関係が築けなかったことが原因かもしれない。
全てが、段取りとして進行していったようにも感じた。
全体としては、生なのに、その「生感」が希薄だったと感じた。
いずれにしても、東京で初の showcace は無事に終わった。
今回感じた違和感を、次はどう取り除けるかが私の課題だ。
その前に、大阪で「秋塾」がある。
そこでも、今回の showcese を踏まえて内容を少し変更しようと思っている。
誰もがカッコよく見える舞台にする為に!

応援してくれたみなさん、本当にありがとうございました。
来年のshowcacsを期待してくださいね!

出演者(順不同)

北村成美・佐藤健大郎・南湖舞紀・木浦芳郎
安藤万里子・福岡まな実・福岡さわ実・横山愛・加藤律
朝弘佳央理・上坂琴乃・渡邊優紀

 

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