REAL CONTACT in Tokyo

2005 年 2006 年に続いて、今年 6 月 28 日から、ウイリアム・フォーサイスに招聘されフォーサイス・カンパニーへ指導に行く日野晃。
その内容をそのまま、日本のダンサーやアクター達に提供する。
去年、一昨年と合わせて延べ 3600 人が学んだ、 3 度目になる夏のワークショップである。

ウイリアム・フォーサイス
フォーサイスは
「観客の目によってダンサーは殺される」と指摘した

●期間  8 月 27 日〜 31 日 
●場所  BumB 東京スポーツ文化館 
       1 F マルチスペース


みなさんお疲れ様でした!
参加ありがとうございました!
絶対に、自分の持ち場で活かしてくださいね!


厳密には 4 回目になるワークショップが、 8 月 31 日に終わった。
今回も、東京セミナーに参加する人たちが、全面協力してくれたおかげで成功した。
回を重ねる度に、新しい人の顔がある。思いもかけない感性豊かな若い人に出会う。もちろん、その逆もある。そういった様々なレベル差を、一同に介して見ることが出来るのは、今後、練習のシステムを考える上で非常に貴重な体験だ。
指示したことを理解出来ない人と出来る人。そこの違いは何か。じっくり観察出来るのが、ワークショップの良いところだ。

今回は、新しい人が多かったので、「胸骨トレーニング」や「ねじれからの連動」を重点的に行った。もちろん、これは結果としてということだ。当初は、「コンタクトで動きを作る」を計画していたのだが、レベル差が大きく、それを実行することは出来なかった。


■ 2007/08/28 ( 火 ) 1 日目終了!

1 日目が無事終わった。
フランス人ダンサーが飛び込みで参加した。
数日前「私は日本語が全く話せないが大丈夫か」と電話が入った。「大丈夫、きっと身体で理解できるよ。だから、安心して参加すれば良い」と話した女性だ。
不思議なことに、やはり言葉が通じない人との方が通じる。
「どうして ? 」
お互いに、かなり集中して向かい合っているからだ。
時間を作って絶対に日本に習いに来ると、別れ際に話していた。

「コネクト」ということは、初めてチャレンジしているにもかかわらず、自分の「ここがコネクトされていない」、などと、自分のやったことを良く分かっていたし、それを知っていくことが目的、という基本テーマを理解していた。
ここが私には分からないところだ。

逆に日本人は、「あっているか見てください」という声が多く、「間違いたくない・正解を出したい」に対してのみ、価値を見出していることが分かる。「フォーサイスカンパニーのダンサーでもできないことだから、出来るはずもないのですよ」と口を酸っぱくして言っているにも関わらず。

まず、自分のどこが、何が悪いのか間違っているのを分かろう。
でないと、今のままの自分が何かをしているだけ、つまり、全ての質を上げることが出来ないのだから。

この言葉は、言葉としては理解できている筈だ。しかし、実際の行動という事になると、「間違いは駄目・失敗は駄目」という基本的価値観が働いてしまうのだ。
6.3.3.4 年生のシステムの中で培われた価値観を崩すのは容易なことではないと、つくづく感じた。

 

■ 2007/08/29 ( 水 ) 2 日目終了!

2 日目終了。
何故か足が疲れる。 それほど動いていないのにも関わらず。 床が硬すぎるせいかも。
明日はもう中日。

今日は、明日フランスに帰国してしまう、という若いカップルが急遽参加した。
キラキラと光るいい目をしていた。
女性は日本人で、男性はフランス人だ。カップルはまるで人形のように、可愛いというか素敵なルックスだ。
この二人を見ていても、一つ一つの事を舞台に繋げているのが良くわかった。
つまり、ワークショップの中だけのワークをこなしているのではなく、それを舞台という設定で行っている、ということが見えるのだ。
当然、ワークをする緊張感も、ワークをこなしているだけの人とは違う。女性は 10 代から外国に出て行き、外国のダンススクールでレッスンを受けて来ている。
そんな意気込みも違うのだろう。特急列車の時間が迫っているということで、身体塾だけで名残惜しそうに教室を出て行った。

あまりみんなに合わせモタモタしていても駄目なので、今日は一挙に真剣向かい合いに突入した。
人が人と正面から向かい合う。
こんな美しい姿はないのだが、残念ながらここを一番苦手とするのが日本人かもしれない。
外国で活躍している人達は、日本に住んでいる人達よりもまだ良い。ということはどういうことか?だ。

昨年スパイラルの WS のときに、脳腫瘍の手術を何度も受け、その後遺症で、耳や身体が不自由になった人が今年も参加した。
しかし、その姿を見て驚いた。
身体のバランスを取るのがやっとだった昨年。
今年は、話し方も動きも、どう見ても健常者と何一つ変わらないのだ。
昨年は、そういった手術後外出するのが恐くなり、ほとんど外に出ない生活をしていたそうだ。
たまたま ws のチラシを、友人がその人に見せたところ、直感的に「行きたい」と思ったそうだ。で ws に参加した。
その人が外に出るというのは、生命が本当にかかっている。
身体が不自由で尚且つ耳も不自由、そして脳に異常は残っているという状態だから、いつ倒れてもおかしくないのだ。 その人が「初めて一人で電車に乗れました」と一生懸命私に話してくれた。
「私は命がけでここに来ているのですよ。真剣に私と無か向き合ってください」
と若い女性に怒鳴ったことを鮮明に思い出す。
一人だけの世界で生きても良い、と教育されてきた若い女の子には、他人の痛みが分からない。
キョトンとしていた。
きっと、ここに来るのはあなたの勝手でしょう、くらいにしか思わなかったのでは、と思う。

真剣向かい合い、これをやりだすと場が締まる。みんなの目が生きてくる。楽日まで真剣向かい合い一直線だ。

■ 2007/08/30 ( 木 ) 中日終了!

今日は中日。
とうとうやってしまった。 1 対複数での正面向かい合いで、複数側にいた男性。
大学生が 1 人で、複数に向かう。 明らかに複数を掴めていない。それは本当に難しいことだからだ。
むろん、フォーサイスカンパニーでも、全員必死になってやった。
しかし出来ない。
にもかかわらず、それに対して男性がニヤ付きながら OK を出た。
「お前舞台を舐めてんのか、みんなは冗談でやっているんとちゃうぞ、真剣にやっているのに、出来ていないものに平気で OK を出すとは何事や!」と。
こういった大人が、若い人を壊す。
若い人の壁を作ってやらないと、つまり、「出来ないこと」というものを身をもって教えて上げないと、何でも自分の意見や思ったこと、やったことが通ると勘違いする。
そうすると、もっと違う局面で出来ないことに出会ったとき、本当に挫折する弱い弱い人になってしまうのだ。
きっと、この男性は、非常に幼稚なレベルで「誰にでも好かれたい」と思っているのだろう。

この傾向は、表現塾でダメだしをしなければいけない場面になれば良くわかる。グループに分かれ、みんなの前でテーマを行う。「みんなの前で」やれているのか、いないのかに対して判定する。
つまり、他人に対してダメだしをするのだ。観客の目でなければ、これは出来ない。
このとき、「誰からも好かれたい」という思いが、判定を揺るがす。そして、見事な言い訳を展開する。
ということは、冷静な意見の交換という作業を日常行っていない、ということだ。やはり、若い女性が「自分の意見を言っても良いのですよね」と当たり前のことを聞いてきた。
そんなことも、一々断らなければ出来ないのだ。そして、誰かの賛同を得ていなければ前に踏み出せないのだ。
ここは、教室で、自分の意見をきちんと表現する稽古をしている、という特殊な場でも相手に対して直接的な意見を言えない。
良いこと、当たり障りのないことなら、いくらでも話しているのに、肝心のことは何一つ相手に言えない。

表現塾も佳境に入ってくると、どんどん本気モードになる。真剣に向かい合えない人は、脱落するしかない。笑って誤魔化す人も、この場にいられなくなる。
そこで、「えっ ! 」と変化が起これば、ワークショップに参加したことに意味があるのだが。

表現の根本は特別なものではない。 自分に対する他人。 他人に自分自身を理解してもらうために用いることと同じだ。自分の世界だけで生きていると、その根本もおぼつかない。

不思議と、こういったことをすばやく理解するのは、ビジネスマンだったりする。もちろん、今回もそういった例があった。

■ 2007/08/31 ( 金 ) 明日は楽日

残すところ後 1 日。
未だ目の醒めない人もいるが、大方の人は目が醒めてきた。
「人の前で」という、表現者にとっては当たり前のことを稽古する。
しかし、一人の人を除いて、「人の前で」ということをきちんと自覚し舞台に臨んでいないので、その当たり前が特別なことになる。
もちろん、それぞれの人の当たり前を、グループの前で披露をしたとき、グループはごく公平なジャッジをする。
「あなたは舞台にいません。私に見せてくれていません」と。

どうもその言葉が分からないらしい。自分ではみんなに見せている「つもり」だからだ。
その「つもり」を実際にそれを行っているのと勘違いをしているのだ。
その勘違いから目が覚めるまで、「私にみせてくれていません」と言う言葉は分からないだろう。
つまり、「ダンスが好き」というレベルでしか、舞台を踏んできていないということだ。
ダンスが好きだけなら路上で踊っていれば良い。
わざわざ舞台である必要はない。
もっと言えば、きっと踊っていて楽しいのだろうと思う。
自分だけの世界に没入できて楽しいのだろう。
その自分だけの世界に没入してしまっている姿を、観客が見ているという事は知らないのだ。
没入し、自分が見ている夢を観客も見えていると勘違いしているのだ。

舞台は、不特定多数にではあるが、自分自身は百%明確に人に伝えたい何かがあり、伝えてやろうという気構えがあるはずだが、それらは一切ない。
しかし、ということを、見抜く目を参加している殆どの人は獲得した。
ということは、その目で自分を見ることが出来るということだ。だから、成長することが出来るのだ。

話は変わるが、面白い話も降って湧いてきた。来年はイタリアでワークショップを開くかもしれない。ニューヨークで活躍するダンサーからの依頼だ。 日野メソッドは、本当に世界を席巻する日も近いのでは…。

■ 2007/09/01 ( 土 ) 楽日無事終了!!お疲れ様

ここ 3 年間で約 700 名ほどの、ダンサーやアクター達と接することが出来た。
そこで発見したのは「感じる」という、ごくごく日常的な単語が全く実際として機能していないことだ。
つまり、身体で使えていないのだ。
言葉としては、死語と言ってよいほど使い古されたものだ。
しかし、「ねじれているのを感じて」という、私のメソッドの入り口が全く出来ない。
「感じている」が、身体を通して言語やある種の認識として脳にくみ上げられていないということだ。
もちろん、「ねじれているのを感じて」という言葉は小学生でも理解できるので、誰でも「ハイ」と威勢のよい返事が返る。
これは、フォーサイスカンパニーの面々でも同じだ。
これは一体どういうことか?私にとっては、そこを考えようがないのだ。
何故なら、私の発見した入り口がそこで、人は誰でも感じているという、普遍性を持つから使ったのだからだ。

このことは、また、 web ページでまとめてみようと思っている。

いずれにしても、 5 日間の東京でのワークショップは、無事に終わった。
いつものように、途中では色々あったが、それはそれでそんなものだ。
今回も、東京に来る生徒さんたちが、手分けして動いてくれ、そして ws 中は、みんなの中でリーダーシップを発揮し、進行を手助けしてくれた。
そんな協力で無事に終えることが出来た。

昨日の打ち上げは、始発電車まで、という久しぶりに盛り上がったものになった。

次は、来年のドラムソロコンサートに向けて発進だ!

打ち上げには、脳腫瘍の手術を受けていた人も参加した。
その時、思いもかけない言葉を耳にした。
「日野先生、このワークショップに来たくても来れない人たちがいるのですよ。私はその子達の為に来ているのです」と。
昨年その人が参加したとき、「胸骨とレーニンをすると健康になりますから、是非やってください」とその人に個人的に話した。それをその人は忠実に守り、毎日欠かさずやっている。
結果、身体のバランスも、聴覚も声も正常に機能するようになってきたそうだ。
週に 2 回、様々な障害や病気を抱える子供たちに、胸骨トレーニングを指導している。
結果、その子達に様々な改善が見られているという。
実は、その人は外科医だった。
「ダンサーや役者の皆さん、日野先生のメソッドはこちらの世界では大変役に立っています。皆さんが役に立てられないようだったら、こちらの世界に持っていきますよ」

何とも嬉しく心温まる話を聞かせてもらった。

来年の夏のWSは、絶対にショウケースもしようと思っています。
是非参加して、挑戦してください。

 








TOP

ベネチア紀行

  身体塾   武道塾   武禅

 今までのワークショップ