「コネクトしていることが見える舞台」

打ち上げは、朝方始発電車の出る頃まで続いた。
主催者の DB ダンスボックスの大谷さんが、色々な意味で喜んでくれた。
舞台監督やスタッフの人たちが、「今までに見たこともない舞台だった」と、涙を流さんばかりに喜んでくれた。
何よりも、俳優の平岡さんと、東京から参加した安藤万里子さんの微動だにしない向かい合いの横で、佐藤君と高校生の高橋君が、突如炎のように鋭く美しい動きを見せるシーンは圧巻だった。
出演者の友人知人のダンサー達は、口を揃えて「昨年の方が良かった」と言っていたという。
それだけでも成功だ。
つまり、今回のショーケースは質的に成長したものだったので、そのことがダンサー達には見えなかったし、感じ取ることが出来なかったのだ。
そして、自分の価値観だけを唯一のものだとしているという、硬直した感覚しか持ち合わせていないということだ。
つまり、既成の「ダンス」というものではない、ということが舞台にはあった、ということだ。
確かに昨年のヤニスが参加した舞台は、躍動感に満ち溢れていた。
しかし、それはあくまでも既成の価値観の範疇だった。
私がみんなに求めているのは、そして、出演者が求めているものは既成の価値観の延長線上にあるものではない。
全く新しい価値観だ。
それを感じ取ってくれたのは、主催者 DB と一般の観客だった。このギャップは面白い。

5 年になる大阪でのワークショップが、少し華を開かせたのが今回のショーケースだった。
しかし、ワークショップ自体は、余りの厳しさに受講者が年々減っていっているのが現状だ。
関西方面のダンス事情を聞くと、個別で「自分はこう踊りたい」とやっている人が多く、決められたことや形式のあるもの、もちろん、否定されることになれていない、というような人が多いそうだ。
劇団や、カンパニー等で沢山の人たちでやっているのに慣れている人は、否定されるのが当たり前で育ってきているので、ここに大きな差が生まれる。
参加者が少なくなってきているワークショップだが、逆に参加している人の質は高くなって来ているといってもよい。
厳しいワークだと分かっているし、常連でなくても時間が合えば参加してくる人は、否定されることが自己確認に繋がると喜ぶ。
特に、ダンス歴の長い人、生徒を持ち教えている人達には好評だ。
今回のショーケースには、ベテランの俳優さんも出てもらうことになった。
それは、今春大阪でのワークショップに参加してくれた時、その存在感の強さに惹かれお願いしたのだ。
その俳優さんが参加してくれたおかげで、改めて役者とダンサーの違いを考えることが出来たのが収穫だ。
役者は、色々な役を貰う。その役をこなさなければ役者ではない。
特に、メジャーの人達はそうだ。
その異なった役柄をこなす、ということがダンサーには要求されない。
そのことが、表現の幅をもたせない結果になっているのだろうと感じる。
そして、自分で自分を作ることが出来ない、という演出能力の欠如にも繋がるのだろう。

今回のワークショップは、来年の公演を見据えてのものだったので、何時もに増して辛口のワークになった。

■ 2009/09/20 ( 日 ) 二日目終了

「どうして自分の感覚を正しいと思えるのか」

もちろん、自分だけにとっては「正しい」それは間違いではない。
しかし、こと客観的判定を任されたとき、それを判定する、判定できる基準を「正しい」などと言う事は出来ない。
しかし、大方の人は、自分の感覚を信じて疑わない。
そのことが私には信じられない。
自分の感覚、感性というものが、一般というなかでどれほどのレベルを持っているのか、また、どういう方法で信じられる自分を作ってきたのか。
その何れも試したことも、試す方法も知らないのに、平気で「自分はこう感じた」という。
そして、その意見を聞く。
本当に信じられない。
どうして自分を信じられるのか。
全く根拠を持たない自分を信じている、その自分とは一体何なんだ。
そして、どうしてその意見を聞くのか。
どちらにも感性の欠片も無いということだ。
これは、今日のワークショップでの一コマだ。
つまり、信じるに足りる感覚を作っていこう、というのがこのワークショップなのだ、と締めた。しかし、こんな能天気な人が増えているのには驚く。子供の頃から、一切否定されていないからだろう。
だから、信じられないくらい幼い顔をしている。参加者の中で、ある国立大で教えている人は「大学生を見ていたら、絶対にこのままだと、日本は壊れますよ。人と話をする時は、目を見るのですよ」という所から一回生は始めるのだという。
まるで小学生の授業だ。
ゆとり教育の付け、それにもまして、モンスターペアレントといわれる、本当に頭の悪い、視野の狭い、自分のことを放ったらかしている馬鹿親の存在を容認してしまう社会。
結局、寄ってたかって、子供を、未来の大人を駄目人間に作っているのだ。

 

■ 2009/09/22 ( 火 ) 神戸中日

ワークショップは中日だ。

今日はどういう具合か分らないが、表現塾が厳しくなった。
これは、年々その傾向になっていると後で感じる。
それは、舞台というものに何の思いも目的も持っていない人が多くなっているからだと思う。
もちろん、そんな人が良いか悪いかではなく、私のワークショップでは、思いや目的、表現したい何かを持っている人に対するもので、その人達が自分のパフォーマンスを際立たせるにはどうすればよいか、を学ぶところだ。
初めて参加する人は、戸惑ってしまって、つまり、何を見れば良いのかが分からなく、立ち往生してしまう。
ダンサーと言えど大方は、ダンスもその人も見ずに、「動き」を見る。
だから、ジャッジは出来ない。
精々「私としては良かった」あるいは「悪かった」といえるくらいだ。
だから表現塾では、「何を見ればよいのか」という目も養って行くのだ。
同時に、自分の中に定規を持つという考え方も植えつけるのだ。
明日からはショーケースの準備に入る。
内容は何時も同じだから、常連の人達には手馴れたものだ。
その人達は、その分中味が濃くなっているから、初めての人とは差が付く。
しかし、もちろん手馴れていることと、内容が深くなるは別だ。
その意味で、手馴れて無くても内容を理解できている人、あるいは、内容を理解できていなくても実際に出来る人、出来る努力が見える人を選ぶ。
もちろん、ショーケースは作品として完成品ではない。
ショーケースも稽古の一つだ。観客を前にしての実践的稽古だ。
この稽古がなければ、観客に対してどういう姿勢でなければならないかを、身体で感じとることが出来ないし、冷や汗も感動も得られない。
実は、今回のショーケースの出演者が二人決まっている。ベテランの俳優の方と、ダンスの先生だ。このお二人は、舞台経験も豊富なので、若い人達を引っ張っていってもらおうと真っ先に決めたのだ。
残りは何人になるかは分らない。
オーディションで決めるのだが、明日から予備選考に入る。

 

■ 2009/09/23 ( 水 ) 結局は自分

早いもので、今日はワークショップの最終日。何時ものことだが、始まると終わるのを早く感じる。
一般クラスが 2 日間あったので、ショーケース作りが全く進んでいない。
それこそ、突貫工事だ。
肩動かしの時、後ろの人が前の人を動かさずに、自分が動いているだけ、という光景を良く見かける。
もちろん、それは指摘するが、言われた本人は何のことか全く理解できない。
よく例えに出すのが、もし無人島で生まれ育ち、何らかの理由で一人ぼっちで生きていたとしたら、言葉も所作も何もかもが発達する筈も無い。
つまり、それらは、他人との関係を結ぶ為のものだということだ。
自分だけが動いている人、それが分らない人は、話す言葉もおかしい。
言葉の並びも変だし、内容も変だ。
可愛そうに、親からも、友人からも指摘されてこなかったからだ。
それは、周りも面倒だから「変な奴」と関わらなかったのかもしれない。
あるいは、周りにいる人達も同類で、変だということに気付いていないのかも知れない。
であれば、親が問題だ。
親が自分の子供を社会で生き抜けるように教育していないのだ。
親と子供が友達付き合いでは話にならない。
親が子供に媚びていては教育どころのさわぎではない。
つまり、親も変なのだ。
となると、後は本人が周りと自分とを比較することでの、気付きに頼るしかない。
夜はオーディションになる。
明日からの 2 日間のリハで作りこめるか。

 

■ 2009/09/24 ( 木 ) 成長

オーディションを終え、出演者を決めた。
男性の数が少なく、オーディションを受ける人もいなかった。
そこで、以前からワークショップには必ず参加していた高校生がいたので、試しに佐藤と組ませて色々とワークをしてみた。
何度か私のワークショップに参加していたが、今までは子供なのでどうにもならなかったのだが、今回は違った。
この時期を成長期とはよくいったものだ。
150 分のワークの間にも、どんどん良くなっていった。
それは、誰の目にも明らかだった。
手垢にまみれたダンステクニックがまるでなく、素直に動く。
しかもセンスが良い。
しかし、彼の話を聞くと 3 歳から舞台に立っているという。
!!!!
ということは、教えている先生が余程いいのだろう。
先生に聞くと、競技を目指していないからではないか、とおっしゃっていた。
ここも大きなポイントになる。
競技で表彰されるのは誰だって嬉しい。
何しろ、人に見せる、ということを目的としてダンスをしているのだから、人に見せそれが評価されたら誰だって嬉しい筈だ。
しかし、そうすることで、競技に勝つためだけのダンスになってしまう、という怖さも同時にあるのだ。
その先生は、そこを競技に出場させない、と決断したところが素晴らしい。
だから、全回のヤニスと佐藤のデュオ以上に違った意味で迫力がある。
躍動感と動く喜びが観ている側に素直に伝わってくる。
ワークの途中でも、その二人が動き出すと、皆ワークを止めて見入ってしまうのだ。
無条件合格!
このまま、素直に伸びていったら、相当素晴らしいダンサーになるだろう。

 

■ 2009/09/25 ( 金 ) リハーサル

超スピードでリハが進行した。
段取りを簡素にしたからだ。
その分内容が浮き出てくる。
ダンサーの実力が勝負になる。
そうすることで、全員が一段と成長した。
特に高校生は、グングンという言葉の通り成長していく。
照明の三浦さんも絶賛だった。
彼が出演することで、全員のコントラストが良くなった。
高校生からベテランの俳優さんまで。
細い身体から愛嬌のある身体。
「自分のやることに熱中するな、舞台での自分の位置をもっと知れ」
これは即興をする上での、最重要事項だ。
でなければ、場を共有している、という意識が伝わってこないのだ。
今日は夜にゲネだ。
それまでに細かい点を詰めよう。
来年 2 月の岡山が見えてきた。

 

■ゲネ「自分のやることだけに熱中するな」

激しい動きをすれば、そして、複雑な約束の動きをすればそこが良く見えてくる。
「舞台に集中しろ」
でなければ、幕の後ろでやっていれば良いのだ。
ゲネはつつがなく終わった。
余りにもスムーズに行き過ぎた為面白くない。
そして、危険だ。
作業になってしまうきらいがある。
本番用に、取って置きのものを隠しているのなら別だが、そうではない。
みんな精一杯の筈だ。
であれば、これでは駄目。
明日の本番は、少し変えてやろうと思う。

今日は、全員疲れのピークを迎えている。
クラシックバレエしかやった事の無い人は、前方回転が苦手だ。
そのせいで首の筋を痛めた。
「こんなに身体が動かないとは思っていなかった」
と本人の弁。
ベテランの俳優さんは、やはり良い味を出してくれる。
厳しい舞台数を沢山踏んでいるというのは、それだけで財産だ。
一人で様々なシチュエーションを作り出してくれている。
相手をしている若手は、色々なアドバイスを受けてはいるが、きっと実際には出来ない筈だ。
舞台数を踏んでいなければ、分からないことが山ほどあるからだ。
俳優さんには、本番ではもう一役やって貰おう。よっしゃ〜!明日本番!

 

■ 26 日本番終了!本番は昼夜 2 回公演だ。

昼は「そんなものだろう」という程度のできだった。
その原因を考えた結果、ある一点が不足していることに気付いた。
それは、舞台に対する緊張感だ。
もちろん、個人は自分の役割に対しての緊張はある。
しかし、舞台という場に対する緊張感はないのだ。
その一点を指示し、夜の部にのぞんだ。暗転から、佐藤とマリコさんのシルエットが浮かび上がる。
コンタクトされているので空気のブレが無い。
客席はその空気で固まっている。
「よっしゃー、これは良い」
和太鼓がコーダーに向かって疾走し、照明がカットアウト 1 部終了。
2 階の音響ブースから急いで階段を駆け降りた。
客席はトイレに立つ気配も、外の空気を吸いに出る気配も無い。
成功だ。
楽屋に入ると、全員汗まみれで息を整えていた。
「バッチリやで!」
拳を突き上げて見せた。
結果、ダンスボックスのスタッフ達も
「こんな舞台は観たことが無い」
と、感動してくれた。
それを如実に物語ったのがお客さんの動きだ。
1 部と 2 部の間に 15 分の休憩をとっているが、殆どの人が席を立たなかった。
また、席を立たなかったばかりか、話し声すら聞こえなかった。
舞台から漂ってくる緊張感に包まれ、身動きが出来なかったのだろう。
終了後、ワークショップに参加していた人たちや、お客さんは
「生まれて初めて観た」と言ってくれた。
昨年はヤニスを迎えての公演だったので、いわゆるスターがいた。
今年は、その意味でのスターはいなかった。
しかし、それは全く関係が無いということを、ダンサー達は証明した。
コンタクトできれば、その緊張感の糸を周囲の人は感じ取る。
そして、その体験に感動する。
という事を、見事に証明した。
全く新しい舞台の一歩だった。
打ち上げでは、ダンスボックスの大谷さんが、続けてきた甲斐があったと手放しで喜んでくれた。
私自身も、ワークショップを通して伝えてきたことが、実際として舞台で見ることが出来たのは、本当に嬉しいし、間違っていなかったことを確信した。
同時に、来年の岡山と埼玉の舞台は、絶対に出来ると実感した。
舞台では、ダンサー一人一人が際立ち、みんな美しく輝いていた。
構成の流れで、舞台からはける人もいる。
その一人は「はけたくない」と、その時思ったという。
みんなと共有できている空間を、もっと、もっと、味わっていたかったという。
打ち上げでは、みんなその時間空間と密度を体験したことに、質の高い涙を流していた。

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