今年満 60 歳。還暦である。
何もそれを偉そうに言っても自慢にもならない。
何しろ団塊世代は全部還暦だからだ。
その還暦を祝って、ドラムソロのコンサートをしようと決めた。

ドラムはある意味で肉体労働である。
もちろん、身体から湧き上がるイメージを「音楽」として即興的に創り上げるのだから、感性労働でもある。
しかし、 20 代の時でさえ、一回コンサートが終わると、椅子から立ち上がれなくなるほど疲れ果てた。
スネアドラムに自分の汗が滴り落ち、スティックのタッチで水滴が跳ね上がるくらい叩く。
身体中の筋肉がパンパンに張り、スネアを持つことさえ辛く感じたこともあった。
大学祭のシーズンになりコンサートが何日も続くと、本当に精も根も尽き果てたものだ。

それの進化系をやってみる、というのが、今回の還暦コンサートだ。

何故、進化系であって懐古的ではないのか。
スティックを置いて 25 年になる。
にも関わらず進化系と私は言う。
人は、年齢と共に衰えると思っている。
確かに衰えるところはある。
視力が落ちている。
これは確かに老化だ。
白髪が増えている。
これも老化だ。
歯も耳も骨も丈夫ではない。
これも老化だ。
筋力も弱くなっている。
もちろん老化だ。
物忘れも増えた。
これも老化だ。
と書き出すと、身体は衰えていると具体的に分かる。
しかし、これは全て「肉体」というものの持つ寿命の話だ。

私は「人」であって、肉体ではない。

それは、時間の積み重ね、体験の積み重ねにより、進化していくものを持っているということである。
確かに聴覚は鈍くなっている。
しかし、良い音楽を聞き分ける耳は成長している。
人の言葉と実体との溝を聞き分ける耳は成長している。
目も老眼だ。
しかし、観察力や洞察力は成長している。
滑舌も悪くなっている。
しかし、的確な言葉を口に出せるようになっている。
物忘れが多い。
しかし、何を考えて、何を考えなくてよいか、きちんと区別できるようになっている。
筋力は衰えている。
しかし、若いダンサーよりはよく動ける。
少なくとも25年前の武道をしている動きより、今の方が動けるし疲れない。
これを衰えている、というのだろうか。

では何が進化したのか。
それは「感性」である。
また、体験から紡ぎ出した自分を操る技術だ。
早い話が、身体の感覚や感受性がよくなり、身体を使う技術が年月と共に進化している、鋭くなっているということである。
進化した感性は、それらを誘導してくれるのだ。

本当にそうか?それを実際に試して見なければ分からない。
現役のドラマーの時でさえ、ソロで 1 時間というのは演奏したことが無い。
40 分 2 回というのはあったが…。休まずにというのはない。
だからやってみよう、と思ったのである。

武道で培った感性が、どれほど身体を操り、音を操れるのか。
聴く人は楽しみだろうが、どっこい演奏する私の方が楽しみなのだ。
ワクワクする。
同時進行的に、自分自身の実力を知ることが出来るからだ。
ひょっとしたら 20 分でガス欠になるかもしれない。
腕がバテてしまうかもしれない。
アイディアが全く湧いてこないかもしれない。

それが未知なる所へ行くということである。
子供の頃から、同じ道を通るのが嫌いだった。
人と同じ事をするのも嫌いだった。
違う道を通る時、今までに無い風景に出会う。
あるいは全く知らない人に出会う。
その時にワクワクしドキドキした。そうなる自分が大好きだ。

年をとってくると、そのワクワク、ドキドキ感が少なくなる。
しかし、それは鈍ったという事ではない。
体験の蓄積が、一寸やそっとのことではワクワクやドキドキを許さないのだ。
まるで身体内麻薬を持っているようなものだ。

「さくら さくら〜」一体何から叩き始めるのだろう。
今からワクワクする。

「人という生物は、年月と共に鋭く美しくなる」

20 年前のコピーだ。
それをドラムソロで実践してやる。

 

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